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戦術人形 キャラクター一覧 / フィルタテーブル版 SSR | SR
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アサルト ▌サクラ ▌ビヨーカ ▌秋樺 ▌緋 ▌朝暉 ▌黛煙 ▌ウルリド ▌ヴェプリー ▌キャロリック
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サポート ▌アルヴァ ▌バチルダ ▌レナ ▌フローレンス ▌絳雨 ▌スプリングフィールド ▌幼熙 ▌ヴェクター ▌ミシュティ ▌センタウレイシー ▌ドゥシェーヴヌイ ▌スオミ ▌コルフェン ▌チータ ▌ナガン ▌クシーニヤ
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アタッカー ▌ルイス ▌ロベラ ▌リヴァ ▌リンド ▌ニキータ ▌クルカイ ▌ペーペーシャ ▌マキアート ▌ペリティア ▌トロロ ▌瓊玖 ▌モシン・ナガン ▌ネメシス ▌シャークリー ▌リッタラ ▌ロッタ
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物理
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2069年9月27日、19時05分。遅い、遅すぎる、SV98は一体何をやっているんだ?生真面目な彼女が、35分も遅刻するなんて。フン、後で絶対にいいただしてやる。グリフィンを離れた後、行き場を失っていた私とSV98は、偶然にも警備員を募集している大陸間列車に遭遇した。電源供給が無限な上、駅では短時間の自由行動時間もあるらしい。願ってもないとは、このようなことを指すのだろう。私たちは申請を提出し、そして意外にも通った。列車名は確か、KW16?だったな。うむ、カフバスからヴィリニュスの道程は30時間、到着は明日になる。警備隊の仕事はあまりにも単調だった。セキュリティチェックとパトロールの繰り返しで、数十時間も続けてやらせれるから、たまったもんじゃない。素体にサビが生えないよう、私とSV98はある「特殊作戦」を制定した。作戦開始時間は毎日18時30分、待ち合わせ場所は23号車の屋上。作戦目標は――一緒に風景を眺めることだ。どうだ、中々良いアイデアだろう?SV98は毎日期待しているんだぞ。……下からハシゴを登る音がする。ようやくきたのか。「ごめんなさい、遅れてしまって」「SV98、私がどれくらい待っていたのか知っているのか?」「本当にごめんなさい、38分42秒も待たせてしまいました。間に合うはずだったんですけど、充電スタンドが乗客に使われていたから、順番が回るのに36分もかかって……」「そういうことなら仕方がない……って、待て、お前まさか、列に並んでいたのか?食堂車の充電スタンドは元々ドール専用だろ!なんで乗客を追い払わなかったんだ!?」「そ、そんなことはできません。マニュアルには乗客を尊重し、いかなる時でも乗客の利益を優先するべしって書いてありました……」「ああもう、わかった。次に同じようなことがあったら、直接私に話すんだぞ!」「はい。理解してくれてありがとう。実は、列に並んでいるときに傍らのマガジンラックで『ウォッチャー』って古い本を見つけたんです。中々面白い内容でした」「ウォッチャー?どんな内容なんだ?」「嵐や戦争から故郷を一人で守る人間のお話です。序盤のほうを少しざっくり読んだだけだすけど。ウォッチャーっていう呼称、私はいいと思います」「確かにかっこいいかもな。ときに、私たちも毎日ここで平原を眺めてるんだから、ウォッチャーの仲間なんじゃないか?そうだ!この前、新しい名前をつけるって話をしたじゃないか?「ウォッチャー」ってのはどうだ?私はこれに決めた!」「SVD、本気なんですか?」「疑っているのか?私は本気だ!コホン、というわけで、ウォッチャーの呼び名は私のものだ!」「……ミス……ウォッチャー?」ちっ、SV98め、仰々しくミスなんてつけ足して、どういう腹積もりだ。「もちろん本気だ。これから私のことはウォッチャーと呼ぶがいい」「……わかりました、ミスウォッチャー」「違う!ウォッチャーだ!」重ねて訂正したものの、SV98は頑なにミスウォッチャーという呼び方を変えようとはしなかった。フン、どうせ欲しかった呼び名を先取りされたからって、私をからかっているに違いない。特殊作戦は終了だ。気分も良くなったし、車内に戻るか。……ッ!これは……爆発音!?列車に急ブレーキがかかり、私はバランスが崩れて、危うく地面に転がりそうになった。何が起こった?臨時停車ならアナウンスがあるはずなのに――ない、なぜ何もないんだ?周りの乗客たちはパニックに陥っていた。私は慌てて彼らを落ち着かせてからSV98を探すが、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。一体どこにいったんだ?彼女がこんなに早く反応できるとは思い難い。もしかしから、どこかにぶつかったのでは?早く彼女を連絡しないと――雑音?繋がらない?再度連絡しようとしたとき、通信機の向こうから隊長の声がした――まずい、ヴァリャーグだ!
2069年9月27日、21時15分。私たちはヴァリャーグの襲撃に遭遇した。 隊長が通信機で迎撃命令を出した。私はパニックしている幼い乗客を乗務員に任せてから、一番近くの屋根に上がった。車両の前方は煙が立ち込めていて、損壊状況が確認できなかった。ヴァリャーグが大陸間列車を狙っているという噂は聞いたことがあるけど、身をもって体験するのは初めてだった。私は緊張しながら辺りを見回した。SVDは近くにいないようだ。無事だといいけど。彼女は経験が豊富だし、余計な心配か。車隊が現れた。数秒後に、ヴァリャーグの車隊が私の射程内に入る。3、2……止まった?先頭の装甲車は停止して距離を保ち、後ろの何台かのジープは方向を転換して、最後尾に向かいはじめた。なんで後ろに?大体の大陸間列車は前半と後半に分かれている。前半は乗客を乗せて、後半は積載専用。この列車の最後尾に積まれているのは、全ヴィリニュスの半月分の生活物資である。それ以外に、大量の特殊物資箱もあった気がする。この類の物資箱は、戦備物資の保管に使われていることが多い。なるほど、それが彼らの狙いか。時間があまりないため、私は最後尾に移動することにした。しかし装甲車は突然加速して列車の頭部に走っていった。先ほどのロケットランチャーよりも口径が大きい榴弾砲が設置され、砲口がレールに向けられる。まさか、物資を奪うだけでなく、レールも壊す気?早く隊長に報告しなきゃ。あれ、私の通信機は?さっきまであったはずなのに。先頭部の煙が徐々に霧散してから、私は軽くレールを観察した。先刻の緊急停車があったけど、レールの損壊状況は許容範囲だった。ヴァリャーグを撃退してから修理すれば、続けて進むことができる。でも、あと一回でも爆撃を食らったりしたら、もう手の施しようがない。大陸間列車をイエローエリアに残すわけにはいかない。素早く考えてから、私はレール護衛のほうが優先度が高いと判断した。他の人たちは全員ジープを追っていって、先頭部には私しか残っていない。私の火力で彼らを阻止するには、装甲車に乗っている人を射止めるか、ロケットランチャーを破壊するかの二択しかない。よし、距離確認オーケー、角度確認オーケー……あとは、前方へ5メートル移動すれば……まずい、ロケットランチャーの装填が完了した。よける?でも、今諦めたらレールが破壊される!私は避けもせず、その場に佇んだまま標的を狙い澄ます。私の素体1つで彼らを阻止できるのなら…………!視界が回転して、発射した弾もズレてしまった――あ、まずい。先頭部から爆発音が木霊した。私は力強く押されたかのように地面に転がり、何度も回転した。「なにボーっとしているんだ?爆弾に当たってもいいのか!?」「……SVD……何をするんですか?」「何するだと?フン、私がいなきゃお前は粉々になっていたんだぞ!あと、私はウォッチャーだ!」「……ミスウォッチャー、計算の結果からすると、私は70%の確率で飛来する榴弾を事前に起爆させることができました。素体の損傷は免れないけど、レールを壊されるるよりはマシのはず。なのにミスウォッチャーが邪魔したせいで……」「ストーップ!お前、計算のし過ぎで頭がおかしくなったのか?しかも私の非だと?あと、ウォッチャーだって言っているだろ!」「……ごめんなさい」SVD――いや、彼女のご所望通り、今は「ウォッチャー」と呼ぶべきか。でも、その名を呼ぶのは本当に抵抗感があるから、私なりの抗議として「ミス」を付け足している。彼女に伝わっているといいのだけれど。SVDの計算力は並の水準だから、私の計画を理解できなくても致し方ない。それに、彼女に救われたのも事実である。ヴァリャーグは物資を詰め込んだ直後に撤退した。結局、私たちが射抜いたのはジープ2台のみで、3つの物資箱を鹵獲した。大陸間列車の外板は特殊な材料を用いているから、爆弾さえものともせず、乗客の被害は急ブレーキによる軽傷に収まった。しかし、レールが完全に破壊されたため、列車の前進はもう不可能。先程の一撃を食い止められたら……私はすぐさま首を横に振って考えを切り替える。起こったことはもう変えられない。私たちができることは、受け入れて、結果に向き合うことのみ。警備隊の人形は、列車を離れて迎撃する際に激しい損傷を負った。軽傷で済んだのは私とミスウォッチャーだけだった。隊長は私を最寄りの臨時駅に派遣し、ミスウォッチャーも同行を申し出た。……「ミスウォッチャー」は本当に心配性です。
2069年9月27日、23時10分。SV98のバカめ!爆弾を避けない奴がどこにいる?しかも1:1交換計画を思いついたとほざきやがる。正気じゃない。計算モジュールを強化する時に、他のメンタルモジュールが壊れてしまったんじゃないのか?なに?隊長がSV98に最寄りの臨時駅に救援を求めに行けだと?でもまぁ、私の「おせっかい」のせいでレールが壊れてしまったのは事実だ。違う違う!私は何を考えているんだ!私が見ていないと、あの頑固者が今度は何をやらかすかわかったもんじゃない。私も同行するぞ!ヴァリャーグは撤退時に2台のジープを残していった。そのうち1台は直せば使い物にはなる。他に方法はない。……もう一時間も経った。SV98は何をしているんだ。まだ直っていないのか?あの阿呆、ずっと呑気にエアフィルターの掃除をしていやがった。あんな調子じゃ明日になっても終わらない。あーもういい、私がやってやる!さすが私。私にかかれば、掃除など造作もない。どうだ、やっぱり私がいないとダメだろう?あー?綺麗に汚れが取れていない?ぐぬぬ、言ってくれるじゃないか。全てが順調にいくといいが。イエローエリアでサバイバルなんて展開はごめんだ。チッ……あんな縁起でもないことをいうから。コーラップスストームのせいで、車とナビが壊れた。もうあてもなく十数キロも歩いているが、周囲には砂以外なんにもない!もう少しで太陽が昇る……ん?前方に何かいる?「おい!SV98!ほら、もうすぐ駅につくぞ!」
2069年9月28日、2時39分。ヴァリャーグが残していったジープは年季の入った代物で、交換が必要なパーツが多いため、私たちは簡単な掃除と修理しか行なえなかった。今は時間に余裕がないから、これ以上は望めない。コーラップスストームに遭遇するか、凸凹道が何時間も続くか、頻繁にエンジンを始動する必要な状況を除けば、大した問題はない。地形情報を確認したが、この辺りはコーラップスストームが頻繁に発生するエリアじゃない。大丈夫だろう。ミスウォッチャー、本当に面倒くさい呼び名。これは私のメンタルログだから、彼女には聞こえないはずだし、さしあたっては……「SVD」と呼ぶことにする。出発前、私とSVDは充電スタンドで最後の充電を行った。あの『ウォッチャー』はまだそこに置いてあったから、こっそり持って車に持ち込んだ。これで道程の退屈しのぎは解決した。なんでコーラップスストームが?このエリアにコーラップスストームはないはず。ロ連が提供した環境情報にも言及されていなかった……コーラップスストームから逃げる二時間において、私たちのジープは揺れと頻繁な点火でエンジンが完全に故障し、再起不能となった。ナビもコーラップス放射線の影響でもう使い物にならない。SVDは廃車になりかけたジープを救おうと何かをいじり始めたが、結局その試みは失敗に終わり、彼女は投げやりに車体を蹴りつけてから、大声でヴァリャーグに毒を吐くしかなかった。ストームに伴う砂嵐は周囲の地形を変化させ、道しるべに使えるものは全て消し飛んた。私たちは完全に進むべき方向を見失った。はっきりいって、あまり芳しい状況ではない。そして夜が明けた頃、私たちの視界に……ひとつの駅が出現した。
2069年9月28日、8時34分。なんで廃駅なんだ!しかし、私のようなエリート人形の経験からすれば、このような廃駅でも基礎的な設備は使える。現状における一番の問題は、やはり座標が特定できないことだ。チッ……電力がないと、コンソールが起動できない。駅内には通信に使えそうなものもないし……なんだアレ?ひぃーッ!ネズミ!通信……通信……インターネット……おっ!そうか!インターネットだ!幸い、駅の通信インターフェイスは完全には劣化していなかった。私は使えそうな遠距離通信モジュールを外してSV98に取り付け、闇ブローカーのネットワークに接続した。そして数分後、私たちの位置が表示された。「どうだ?ふふーん、私にかかればこんなもんさ」「ミスウォッチャー様々ですね」「そうだろそうだろ~って、ウォッチャーだって言ってるだろ!たまには呼んでくれたっていいじゃないか!」「ともかく……」SV98は私の文句をスルーしながら考えを続ける。はー、もう好きに呼んでくれ。「どうした?座標は確認しただろ?」「ほら、ここが私たちの位置です。で、ここから目標駅への直線距離は約130キロ。仮に最高移動速度で移動しても、徒歩で最低九時間はかかります。道中で危険に遭遇する可能性を考慮に入れると、さらに四時間が必要だと考えるのが妥当です」「……」「残りのバッテリーは、合理的に使うべきです」SV98はそれ以上なにも言わず、私を見上げた。私は彼女が何を考えているかがわかって思わず視線をそらした。「この付近にビーコンがあるかもしれない。ビーコンには電力が常備されている可能性が……」「マップにはマークされていませんでした。二分前に検査済みです」「……居住エリア、そう、居住エリアだ!現有の環境情報には記されていないが、イエローエリアには居住エリアがたくさんあるはずだ。一番可能性が高い方へ……」「この辺りに居住エリアがある可能性はない。検査したのは、あなたです」「なら……」「SVD」彼女は私を見つめた。クソ、だめだ、きっと他の方法があるはずだ。「――ならもっと短いルートを選ぶのはどうだ?ほら、このQS316BN-O92XTのところで迂回せずにまっすぐ進んで……」「計算開始、模擬作戦執行……環境情報を分析中……計算時間、2秒」SV98は瞬く間にこのルートの実行性を算出した。「却下します。この座標付近には62%の可能性で生骸の群れが連続で出現します。弾の残量はもう多くなりません」「なら、ここはどうだ?QS397BN-O45XTから直接目的地の後方へ回れば、道のりが18%も縮まる」「計算開始、模擬作戦執行……気象データ取得完了……計算時間、3秒」今回もすぐに計算が終わった。「却下します。確かにここは近道ですが、経路上に峡谷があります。峡谷でコーラップスストームが突発する可能性は33.7%です。私もあなたも、すでに素体の損耗度が限界値に達しています」……「却下します」……「却下します」SV98が持ち出した提案が最善ルートであることは、私もわかっていた。だがどうしても諦めたくなかった。私の言い訳を全て却下した後、SV98は自分のバッテリーを引き抜こうとする。私は彼女の手を抑えた。「私が残る」「……いいえ、SVD、この件について話し合う必要はないはずです。計算結果は、すでに私たちのメンタルに表示されています。正確な方法に従って執行すれば、最善の結果を得られます」「ダメだ、お前が行け。私が残る」SV98は目を見開いた。「ダメです、SVD……あなたが……」彼女が口にしようとしていることは明白だった。だが私はもう決心がついていた。「フン、計算計算、それがどうしたってんだ。私が行けって言ってるんだから、黙って行け」「でも……」「もういい。忘れたのか?私は、ウォッチャーだ!ここでお前の背中を見守るのが、私の戦い方だ」SV98はまだ何か言いたげな顔をしていたが、私が意思を変えようとしないのを見て、最終的には頷いてくれた。「……わかりました」 こいつはいつもデータやら計算やらで、自分のことをまったく考えようとはしない。……たとえ駅にたどり着いても、救援部隊が人形一人のために人手を割くなんて考え難い。残されたほうは、永遠にイエローエリアに居続ける運命が待っているかもしれない。SV98はどうせ私が生きる希望を譲ったと思っているだが、生き残った人の方が背負うものはもっと重いだろう。ん、待て、さっきウォッチャーって呼ばなかったよな?まーいい、SV98、今回は許してやる。あとできっちり訂正してもらうからな。それはともあれ、実は他に重要な理由がひとつある。もし話したら、絶対に彼女が同意しないから口に出してはいないが。SV98、もっと私のことを頼ってくれ。……SV98、もっと自分に自信を持て。
2069年9月28日、12時45分。風力階級3、視界良好、目標地点まであと65キロ……64キロ……あと、もう少し……脚が柔らかい砂にハマるせいで、どうしても早く進めない。エネルギー分配の優先度を変更。脚部の推進システムを最高優先度に設定。60キロ……59キロ……まだ足りない……列車では大勢の人が私を待っている。SVDも、私のことを待っている。右手にはバッテリーがひとつ握られていた。SVDのバッテリーである。ついさっきまで、このバッテリーはSVDの体内で各機能の動作に必要な電力を供給していた……でも今、それは私の掌にある――彼女が自ら電源を切ったのだ。取り外した時は暖かったのに、もう温度がなくなっている。あと1時間もすれば、私のバッテリー残量がなくなる。そしたら、これを私の素体に接続しなければならない。バッテリーを見つめながら、私はSVDとのお別れを思い出した。「こういう時はやっぱ、かっこいい後ろ姿を残しておいたほうがいいのか?」SVDのは真剣に悩んでいるようで、周囲を見回しながら何かを探していた。「そうだな、どっか高いところがいいな!高いところでお前を眺めるのが、ウォッチャーらしいだろ!」「どれどれ……よし!あそこに決めた!」SVDは廃駅の電波塔を見やりながら言い放った。どうやらそこが彼女がいう「ウォッチャーらしい」場所みたいだ。「早くこいよ、SV98!」SVDは一瞬で電波塔のてっぺんに登り上がり、私もついてくるよう促す。私は電波塔に登って、毎日列車で遠方を眺める時と同じようにSVDと肩を並べた。彼女の視線をたどっていくと、黄色い砂漠が地平線まで延々と続いていた。駅もあの方向にある。「さあいけ、SV98。私はお前が戻ってくるまで、ここでお前を見守っているからさ」SVDは私の肩を軽く叩いてから、電波塔の端に腰をおろした。彼女は手を電源に伸ばした。そしてカチャッという音が鳴る同時に動きが徐々に止まり、瞳からも光が失われていった。しかし、その顔は笑顔のままだった。私の計算結果からすると、最後の道のりは彼女が私のバッテリーを携えて救援を求めに向かうほうが適切だった。素体は私のより彼女のほうが状況が良く、緊急事態に際しても私より優れた対応が期待できる。彼女もわかっていたはず。なのに、頑なに私にこの任務を託そうとした。どうして?私に対する警備隊の評価が落ちるのが心配だから?それとも、私が以前の私に戻ってしまうのが怖いから?どう計算しても解せない。私はいつも表情豊かだったその顔を見つめながら、頬を引っ張ってみた。柔らかかった人工筋肉は、主人の管制を離れたせいで固まってしまっている。そう、こんな触り心地だったのね。彼女はいつもそう、他人を気遣いながらも無関心を装っていた。以前グリフィンにいた時もそうだった。私が混乱していた時に身を乗り出して、代わりに決断してくれた。彼女はいつも、いとも簡単に私の心配を打破して、予想外の方法で勝利を収めてしまう。なら今度も、できるはずよね?何せ、彼女はSVD……「ウォッチャー」なんだから。今、彼女のバッテリーは私の手に握られている。私の手はなぜが震えており、胸も何かで塞がっている感覚がして、体の動作に遅延が生じていた。自己検査プログラムが身体機能の正常動作を示していなければ、私は思わず故障を疑っていたところである。SVD、私はずっとあなたのことを頼っていた気がする。グリフィンにいたとき、列車で働いていたとき、そして今――犠牲が必要な時もそう。「必ず帰ってきます、SVD」いいえ、今のあなたの名は――ウォッチャー。「必ず帰ってきます、ウォッチャー」「ミス」を付けずに呼んだわ、聞こえた?私は首を横に振った。私は何を考えているんだろう。SVDはもうここにはいない。そんなことよりも早く駅にたどり着いて、彼女を探して戻らないと。私は加速して走り出した。もっと、もっと早く進まなきゃ!後ろのほうで、眠りについているウォッチャーが私のことを待っている。必ず戻って、あなたを助けるから。今度は絶対に遅刻しない。
5月23日、晴午前9時。「カーテンを開けてもらえるかしら?」雇い主の声に従って、私はカーテンを開けた。眩しい光が大きな窓から差し込み、空気中に漂う水気が床に朦朧とした影を落とす。私は警戒しながら窓の外を見やる。ここは高いから、窓から遠方の長城列車軌道防衛軍の兵士たちが勤務を交代している様子が窺える。もう少し先に進むと、汚染エリアがある。少し振り向くと、ドアの前で厳しい表情をしながら虚ろな目を覗かせるている9A-91の姿が視界の端に映った。グリフィン再編後、私は9A-91――もちろんクマちゃんも一緒に――そこを離れた。今は建設グループの担当者のボディガードとして働いている。仕事は楽で、補給は十分、加えて雇い主も優しい、まさに理想の仕事と言っても過言ではない。今も汚染エリアを渡り歩いてるかもしれない仲間たちを思い浮かべると、私たちはつくづく自分たちは運が良いと思ってしまう。背後から食器を置く音がして振り返ってみると、私たちの雇い主――五十歳前後の優雅なレディ――が軽く口を拭いてから、慣れた手つきで口紅を塗っていた。「トントン……」9A-91がドアを開けると、家庭用人形が入ってきてテーブルを片付けはじめた。皿にはほとんど食べ残しがない。どうやら今日は食欲があるようだ。ここに来たばかりの頃はずっと何も口にしないから、9A-91と私が医者に診てもらうよう勧めたけど、笑顔で断られてしまった。「ご飯をしっかり食べないと、身長が伸びないわよ。食料の心配は必要ないわ。あなたも食べなさい」優雅なレディは私を見つめる。「……私は人形ですので、食事を取っても身長は伸びません……それに、さすがにそこまで切羽詰まってはいないので……」私は苦笑いで彼女の拙いジョークを返しながら、家庭用人形に片付けを続けるよう合図を送る。テレサ・ストレリチェンコ――私たちの雇い主は赤い唇で何か言いたげそうに微笑んだ。そのとき、卓上の通信機が鳴り出した。「おはようございます。昨日の件についてですが、デュランさんが三つの解決案を用意してくださったようで、ご報告したいとのことです」やや冷たい若い女性の声、秘書ヴィオラ・モランである。以前はヘリアンに少し似ていると思っていたけど、実際に付き合ってみると、中身は完全に異なるタイプだった……モランさんはいつも「公務に私情は挟むべからず」と言わんばかりの雰囲気を漂わせている。間をおいてから、通信機の向こうから少し尖った男性の声が聞こえた。ロバート・デュランである。見た目は……その尖った声音ほど印象的ではない。最近はうちの雇い主をどう説得するかで焦っているようだ。「W_2068_1732浄化エリアを離れてください。この前の意見については、考えてくださいましたか?近日の報告によると、このエリアの移動式浄化塔の調達申請は提出から86日も経過しているのに今だ指示が下りていません。加えて先日、工事の下準備の一環である長城列車のメンテナンスも停止になりました。以上を踏まえて、私は投資回収を早めるために、W_2069_3741浄化エリアの基礎工事を優先すべきだと存じます」ご覧の通り、彼は我らが雇い主をここから引き離し、もっと……経済的にポテンシャルのある場所へ移動させようとしている。ミス・テレサは口角を上げながら、手元の資料に視線を移した。「私の決定は変わらない。すでに言ったはずよ、私はこのエリアの浄化が完了するまでどこにも行かないと」「……なぜあなたは……わかりました。ですが理事会には重点建設エリアをW_2068_1732からW_2069_3741に変更するよう申請を送らせてもらいますので悪しからず」 通信が切られた。二時間……今日の会議は普段より少し長びいた。「カーテンを閉めてくれるかしら?ここは日差しが眩しいわ」「はい」私は彼女の言葉に従ってカーテンを閉じた。深紅の生地が遠くの長城列車とパトロール中の兵士たちを後ろに隠す。太陽が隠れた後、ミス・テレサはまるで蒼白の石膏像のようにカーテンに覆われた窓を見つめる。彼女の唇はカーテンと同じ深い赤色を呈していた。その顔色と表情はいつもとは打って変わって異常であった。「……どうかなさいましたか?」「……あぁ……」石膏像の瞳に光が戻り、赤い唇が動きはじめた。「なんでこんなに暗いの?時刻は?ヘリックはいつになったら戻るのかしら。もう時間が……」私は思わず9A-91のほうを見やると、ちょうど彼女も困惑そうにこちらを眺めていた。私は口話で彼女に質問する。「ヘリックって誰のこと?」彼女は眉を顰めながら首を横に振った。「ヘリック……ヘリックに会わなきゃ……」ミス・テレサは机で体を支えながらドアのほうへ歩を運ぶ。しかし、ドアにたどり着く前に、彼女は机の角をかすりながら倒れ込んでしまった。「お、お待ちください!ヘリックとは一体……?」私は慌てて彼女を支えた。その体重は記録のデータよりも1.77キロ軽かった。「大丈夫ですか?」9A-91もドアのほうから駆けつけて、ミス・テレサの体を支える。「ええ……それより、ヘリック、早くヘリックを探さないと……」ミス・テレサは額に手をあてる。幾秒後、彼女はふらつきながら崩れ落ちて、力なく私の肩に寄り掛かってしまった。「み、ミス・テレサ!?」ヘリックって一体誰なのよ?ど、どうすればいいの!?
5月28日、晴私はミス・テレサの寝室の外にあるイスに座っていた。AS Valは私の傍で彼女のクマを揉んでいる。「ミス・テレサ……どうしてあんなことに……ずっと元気だったのに……」「人間は加齢に伴って免疫力が落ちるから、放射線の影響を受けやすい」彼女に抱かれているクマが勝手に喋り出した。「それに、彼女はここに長居しずぎたんだ。ここは浄化工事の最前線だからな!」「だからメイドや作業員たちを全員引っ越させて、代わりに人形を雇ったのか……あの時から自分の病状に気付いてたんだ」私はミス・テレサの異常な挙動を思い返す。「最近の食欲不振も病気が原因なのかもしれない」考えてみれば、私たちがミス・テレサの私室で介護をはじめたのも同じ時期だった。それまでは、セキュリティの仕事しか任されていなかったのに。勝手に信頼度が上がったと勘違いしていたんだ。私の傍で、AS Valはさらに顔を俯かせた。もうほとんどクマの胸に埋まりそうだ。「もっと早く気付いていたら……」私はAS Valを慰めようとして、彼女の頭をくしゃくしゃに撫で回した。「9A-91はヘリックって誰か知ってる?」AS Valちゃんは頭を上げて、しわくちゃになった眉間をのぞかせた。「ヘリック、聞き覚えがあるような……」私はメンタルログを検索した。「どこかの写真の裏に書かれていた名前のようですね……」そのとき、傍らのドアが突然開かれて、モランさんとデュランさんがフル防護服姿で部屋から出てきた。マスク越しに、デュランさんの少し滑稽な声が響く。「本当に頑固な御方です」「これ以上続けさせるわけにはいかない。連れ戻して治療させないと」二人はそんな言葉を交えながら階段のほうへ歩を運ぶ。どうやら、彼らの提案はまたもやミス・テレサに却下されたようだ。診断後、ミス・テレサはますます周囲の言葉を聞かなくなり、あまつさえ混乱中は発狂するか放心状態になるかだった。医者によれば、彼女のE.L.I.D.はすでに進行していて、精神的にも影響が出始めている。このまま悪化が進めば、意識がはっきりとしている時間はどんどん縮まり、挙げ句の果てには幻覚まで引き起こすらしい。「少し、ミス・テレサと話してみない?早く治療を受けないと、死んじゃうよ……」本音を言うと、私はミス・テレサが聞く耳を持ってくれるとは思わなかった。食が細くなった頃から、私たちは彼女に医者に診てもらうよう勧めていた。当然であろう。仮に雇い主が死んでしまったら、次も安定した仕事が見つかる保証などどこにもない。それに、私は彼女のことが嫌いではなかった。そんなことを考えながら、私たちは重い気持ちでミス・テレサの部屋に踏み入った。
5月28日、晴ミス・テレサはベッドに横たわっている。口紅は塗っておらず、顔色も優れていない。私は彼女に流れる時間だけが早まって、彼女が一瞬で老けてしまったようにさえ思えた。私たちが口を開く前に、彼女は普段のように優雅で疑うのを許さない威厳のある口調で言葉を発した。「ルーサン……ルーサンの庭に連れていってくれないかしら?」ルーサンの……庭?私とAS VALは互いの顔を見合わせた。「ルーサンの庭は、その……浄化エリアのどこかにあるんですか?」ミス・テレサは微笑んだ。「浄化エリアではなく、付近の汚染エリアにあるわ」汚染エリア?ミス・テレサは……汚染エリアにいこうとしている?それはまるで――え?私が口の開き方に悩んでいる間、AS VALはベッドのほうへ駆け寄って、クマをぎゅっと抱きしめながら哀愁を帯びた声を発した。「そんなのダメです……少しはE.L.I.D.患者である自覚を持ってください。汚染エリアにいくなんて、そんなの――」「AS VAL……!」私は珍しく激しい感情を顕にする彼女を落ち着かせようと、彼女の肩に手をあてがう。「お、落ち着いてください。ミス・テレサにも理由があるはず。とりあえず聞いてみましょう」「そうそう、落ち着けって。姉御らしくないぞ」クマが彼女の胸元で控えめの声で話す。彼女は不服そうに口をすぼめた。ミス・テレサは笑いをながら視線を窓の外へ向ける。そのデッサンで描かれたように蒼白な顔にも、少し活気が戻ったように見えた。「理由はね……実はあそこ、私の家なの。だから、どうしても一回戻ってみたくて……」私たちはやれやれとばかりに視線を交えた。今までの経験からして、彼女が「どうしても」と言い張る場合は大概、他の代替案を検討する気などない。頑固な上司は部下の顰蹙を買うのがオチなのである……「できれば、具体的な座標を教えてくたださい……」ミス・テレサは左右に首を振ってから、淡々と返した。「ごめんなさい、覚えていないの。でも大まかな方向、道のりや道標などは覚えているわ。確か付近に風車がついた製粉工場があったはず」目的地の座標も知らないままE.L.I.D.患者を汚染エリアに連れていくなど、端的に言って正気ではない。私のような秘密兵器でも、ミス・テレサの安全を100%確保できる保証などない。ともあれ、もし雇い主の願いを叶えてあげられたら、評価が上がるのでは?これは貴重なチャンスでもある……特に、グリフィンを離れてからは他人に褒めてもらえる機会など滅多になかった……「病気を治してから行くのをオススメします」AS VALはまだ説得を諦めていなかった。「いいえ」ミス・テレサはデッサンのような顔を私たちのほうへ向ける。「私の体は、もう――」「もうダメとか言わないでください!」AS VALは真剣な顔をしながらミス・テレサの言葉を遮る。「積極的に治療に臨めば全然治る可能性はあるって、お医者さんが言っていました!」ミス・テレサは柔和な表情で苦笑した。「私が離れたら、この辺りの浄化計画は全て取り消されてしまう……そしたら、仮に私の病が全治しても、上層部は人道主義を掲げて医療スタッフを送り込み、私がルーサンの庭へ向かわないよう監視するでしょう。今を逃したら、もうチャンスはないわ」「これが私の最後のチャンスで、最後のお願い。どうか、私を家に連れて行って」私は阻止しようと口を開けるも言葉が見つからず、言いあぐねたままAS VALのほうを見やる。すると彼女もこちらを見つめていた。しばし考えた後、私は躊躇いながら言葉を発する。「もし……もしも」私は赤い帳に隠れたミス・テレサに視線を移す。「私たちがあなたをルーサンの庭に連れて行くことができたら、安全に帰還してからホワイトエリアに行って治療を受けると約束してくれませんか?」ミス・テレサは全く躊躇う素振りを見せず、一二秒の間を置いてから、私のほうへ右手を伸ばした。「ええ、約束するわ」私は少し混乱しながら、彼女の真っ白な手を見つめる。自分で提案しておきながら……実のところ、私は決意できていなかった。引き受けたとして、もしミス・テレサが汚染エリアで死んでしまったらどうしよう?でも、断ってしまったら、頑固な彼女はきっとここで命の最後を迎えるだろう……グループの人が説得してくれる可能性にかけるか、それとも私たちが無事依頼を達成する可能性にかけるか。一体どうすれば?秘密兵器たる私が悩まされるなんて!「引き受けよう、9A-91」「AS VAL?」私は困惑そうに彼女を見やる。「反対していたんじゃ?」「これは……友達の願いだから」彼女のクマも騒ぎ出した。「僕も引き受けたほうが良いと思うよ。どうせ賭けるなら、自分に賭けるほうが安心だろ?」私はそのまるで私のメンタルを見透かしたような言い分に驚くあまり、思わず前へ踏み込んだ挙げ句、ベッド脚につまずいて転んでしまった。倒れるとき、私が伸ばし出しtた手がちょうどミス・テレサの手と重なった。「わ、わかりました、引き受けます」私は立ち上がって咳払いをした後、ビジネスマンのようにそのまま彼女の真っ白で冷たい手を握った。彼女のほうは真似事ではないけど……ともかく、私たちは握手で契約を交わしたのだ。「約束をお忘れなく。一目見たら、戻って治療を受けてください」私は胸に募る不安を払拭しようと、もう一度そう強調した。「約束を守るのは、出来る商売人の基本中の基本よ」ミス・テレサは落ち着いた口調で答えた。その声からは、以前会議で命令を下すしていた時と同じ威厳が感じられた。これが、正しい選択のはず。ミス・テレサの願いを叶えられれば、今の安定した生活を壊さずに済む。大丈夫、秘密兵器である私がいれば、絶対に成功する。
5月29日、晴「ほ……本当に……大丈夫?」「しーっ、静かに!」ジープの後席で頭を出した私は、運転席の9A-91に頭を押し戻される。真っ黒な夜中、頭上では刃のように鋭い弓張月が淡い光を発していた。私は悪寒がしてならなかった。……ダメ、びくびくしていると怪しまれちゃう!ここの浄化エリアはまだ建設中で、長城列車の合併が完了していないため、隙間ができている。そこに軌道防衛軍が設けた、汚染エリアを出入りするための臨時検問所がある。私たちが今回通る予定の場所でもある。9A-91はグループの車庫から盗んだジープを転がし、私はメイド服姿のミス・テレサと後部座席に座っていた。メイド服はミス・テレサが自ら倉庫から漁ってきたもので、他にも携帯食料や応急薬が取り揃えられている。まるで旅行に期待を募らせる子供のようだ。そこには病床に伏していた頃の面影などない。ミス・テレサには、軌道防衛軍の目を欺くために、適当なメイクでイメチェンもしている。仮に変装がバレてしまったら……即刻モランさんに連れ戻されるだろう。難題は私もAS VALも化粧に関しては素人であることだ。ミス・テレサも軽いメイクしかしたことがない。色々と試しては見たものの、結局、私たちではファンデーションで毛穴のシミやを隠して人形に似せるのが精一杯だった。そしてリップで唇の輪郭をやや誇張気味になぞり、顔を隠すほど大きな帽子を被せればメイク完了。仕上がりは微妙と言わざるを得ないが、一応偽装にはなっている、と思いたい。検問所でジープを止めた後、9A-91は証明書を渡した。「グループの護衛人形……なんでこんな時間帯に汚染エリアに?」それはもちろん、この時間帯は勤務交代で検問が疎かになるから……窓辺で観察している際に得た情報である。「テレサ・ストレリチェンコの指示で汚染エリアの調査に向かっています。私たちは彼女の直属です」9A-91は事前に用意した台詞を口に出す。「後日の浄化工事のために、その……環境情報が必要なんです」「環境情報……チッ、人形に実地調査を任せるだと?」「こちらがミス・テレサの依頼資料になります」9A-91は少々強気な態度で一枚の紙を渡した。その紙を受け取った兵士はサインと印鑑を一瞥してから何度も検査するが、結局何の問題も発見できず、紙を9A-91に返した。「汚染エリアでは何が起こっても自己責任だ。私たちが手を差し伸べると思わないことだ。いいな?」彼女は辛うじて引きつった笑顔を返した。「わかっています」兵士は懐中電灯で後部座席の窓ガラスを開けるよう促す。私は言われた通り窓を開けると同時に、少し身を横にしてミス・テレサを影に隠そうとした。「ん?そこのお前、帽子を外せ!」兵士は無理やり私をどかしながら、ライトでミス・テレサを照らした。ミス・テレサは冷静に帽子を外して、蒼白な顔面を光源に向ける。「その顔、見覚えがあるような……」「悪いけど、急いでいるの」ミス・テレサが普段よりも冷たい声を発する。「あなたは知らないかもしれないけど、私たちの雇い主は厳しい御方でね。夜明けまでに戻らないとどんな仕打ちを受けることになるか……」懐中電灯を握った兵士が眉間にシワを寄せた。「貴様……私を脅かしているつもりか?」「とんでもない」ミス・テレサはハンカチで包まれた何かを渡しながら続ける。「私はただ、協力をお願いしているのよ」受け取ったそれを軽くジャラジャラと鳴らしてみた後に、兵士は鼻で笑いながら見張所に戻っていった。検問所のドアがゆっくりと開いたのを見て、私はほっと息をついた。ミス・テレサは帽子を正してから、誇張が激しい唇で少し滑稽な笑みを浮かべた。「9A-91、先程、もし見破られたら諦めようと思っていたでしょ」ルームミラーの中の9A-91が一瞬こわばる。「そ、そんなことはありません!これは私にとっても、良いところを見せるチャンスです!」「フフ、冗談よ。そんなに緊張しないで」「まったく……こんな時に冗談なんて心臓に悪いです」9A-91は文句を言いながらエンジンをかける。エンジンの轟音の中、私はミス・テレサの消え入りそうな声が聞こえた。「これからヘリックに会いに行くのだから。彼は重苦しい空気があまり好きじゃないの」私は一瞬自分の耳を疑って、彼女のほうへと顔を向ける。「何かおっしゃいましたか?」しかし答えは返ってこなかった。間をおいてから、彼女は補給箱からE.L.I.D.の症状を緩和する注射薬を取り出して、上腕に刺し込んだ。私は彼女を手伝うと同時に、外の兵士に見つからないよう体で窓ガラスを隠した。「……なんでもないわ。道を急ぎましょう」彼女は注射器をしまってから、少し疲労した様子で瞼を閉じた。私がルームミラーで9A-91に合図を送ると、ジープは加速しながらウルススのように汚染エリアに突貫していった。実は、見破られたら諦めようと思っていたのは、私も同じである。ミス・テレサは知っていたはずだ。
5月30日、晴生骸が……生骸が多すぎる!もう二、三時間は戦い続けている気がする。弾とガソリンを大量に用意しておいてよかった。ミス・テレサ直属のボディガードとして、弾は随時申請可能だけど、ガソリン、食料、薬や防護服は手配するのに一苦労する……ガソリンが尽きる前に戻れると良いんだけど……幸い、長い間平和な生活に浸っていたとはいえ、まだ生骸に敗れるほど腕が鈍ってはいなかった。ジープを取り囲んでいた生骸をやっつけた後、私たちは小休止を入れることにした。私と9A-91は後部座席に戻って、ミス・テレサに精神症状を緩和する注射剤を注入した。9A-91は拙い手際で乾パンを半分に割り、その片方を彼女の手に渡す。ミス・テレサは検問所を通り過ぎてから防護服に着替えているが、幾度かの発病を経て防護服が破損してしまったため、包帯で応急処置を施さざるを得なかった。彼女が付けたマスクも土や泥、唾液、口紅などでめちゃくちゃになっている。出発から早五時間、ミス・テレサの意識がはっきりとしている時間は縮まる一方だった……そのとき、注射を受けたばかりの彼女は落ち着いた様子で防護服のマスクを取り外そうとするが、薬の影響で上手くいかなかった。私が手を貸すと、彼女は笑顔でありがとうと言いながら、乾パンを口に運んだ。「もう食料が残り少ない」9A-91は補給箱を漁りながら言う。「薬もなくなりそう」やっぱり、もっと用意しておくべきだった。でもミス・テレサの状況からして、長引かせるのは悪手でしかない……そもそもミス・テレサの申し出に同意したこと自体が浅慮であった……「ミス・テレサ、あなたの記憶通りなら、浄化エリアから三時間程度でルーサンの庭に到着するはず……夜明けまでに目的地にたどり着けなかった場合は、引き返しましょう。さもないと、モランさんに見つかってしまいます」私も頷いて相槌を打ちながらミス・テレサのほうを見やる。心なしか、彼女の瞳は光に満ち溢れて、顔色も健康そうに赤らんでいた。「大丈夫」彼女は乾パンを食べた手を軽く叩いた。「きっと見つかるわ」私と9A-91はやれやれとばかりに視線を交えた。「正直なところ……私はあまり楽観視できません……一応失敗する可能性も視野に入れておいてください。それに……」私は慎重に言葉を選びながら、ずっと悩んでいたことを口にするかを躊躇う。「そこまでしてでも、昔の家に戻ろうとする理由はなんなんだ?大方、家族に会えるわけでもなさそうだし」「クマちゃん……!」私は咄嗟にクマちゃんのスピーカーを抑えた。車内に気まずい空気が漂う。しかし、私と9A-91は自分たちの代わりに質問してくれたクマちゃんを咎められなかった。ミス・テレサは窓ガラスに映るもう一人の自分の姿を眺める。「ヘリックはね、甘いものが好きだったの」彼女は乾パンに手を伸ばす。「甘いものが手に入ったらいつも一口だけ盗み食いして、見つかってもしらばっくれる」「その、以前も聞いたことがありますけど……ヘリックとは一体誰のことなんですか?」私は躊躇いながらも質問した。今度は答えてくれるだろうか。「私の兄よ」ミス・テレサは十代の少女のように笑い出した。「ルーサンの庭には八人の子供が住んでいて、全員ヘリックが拾ってきた子たちなの。そう、八人とも大根みたいに穴からひっこ抜かれ、家に連れて帰っていかれた」彼女は軽く笑ってから、顎に手をあてがう。その瞳は過去の思い出を見ているかのように輝いていた。「それで毎年、誕生日プレゼントを八個用意するのに頭を悩ませていたわ、あはは。腹を満たすこともままならないのに」「だから、あの情報を知った私は、彼に誕生日プレゼントをあげて喜ばせようと思ったんだけど」彼女の瞳が色褪せて行く。「でも……私のプレゼントは気に入ってもらえなかったわ」ミス・テレサは疲れたかのように目を閉じた。「いきましょう、東へ。きっと帰れるわ」9A-91に困惑の視線を向けると、彼女は首を横にふった。どうやら彼女もわからなかったようだ。ミス・テレサの話の内容は……ルーサンの庭に向かう理由とは何の関係もないように思えた。そのとき、9A-91は私の肩を叩きながらバックミラーを指した。「……ッ!」バックミラーには点々とした光が映っていた。もちろん、星の光ではない、生骸の目である。「出発の時間です、AS VAL」9A-91は車から飛び降りて運転席に戻った。私は窓ガラスを開けて、射程内に入った生骸に弾を何発か撃った。エンジンの轟音と銃声の中、私は小さくて儚い声を耳にした。「あなたたちにもプレゼントを用意しておいたわ。私の仕事部屋の端末にあるから、戻ったら確認してみて。気に入ってもらわなくても構わないわ。パスワードは、左の棚の一段目にある手帳に記してある」「プレゼント?」ミス・テレサからの返答はなかった。彼女は顎に手をあてがったまま、両目を閉ざしており、深い眠りについているかのようであった。ジープは黒い影に追われながら、月とは反対の方向に進んでいった。
5月30日、晴月が沈みかけた頃、ジープは咳払いのような音とともにエンジンが落ちた。そのとき、片方しか残っていないライトが前方を照らし、朦朧と廃れた製粉工場の輪郭が現れた。工場の上では、羽が二枚しか残っていない風車が風の中で執拗に回っていた。後ろドアが開く音に誘われて振り向いてみると、ミス・テレサが車から飛び降りようとして地面に転んでいた。皮膚から伸びるコーラップスクリスタルなどお構いなしに、彼女は廃墟のほうへ這いながら進んでいく。私は彼女に襲いかかろうとする生骸を葬り、AS VALは彼女を助けに向かう。少し離れた暗闇の中には光が集まっていた。すでに道のりで飽きるほど見てきた、生骸の目である。AS VALはパチンと頬を叩いてからミス・テレサを私に押し付け、銃を背負って車の屋根に登った。「9A-91、ミス・テレサを連れていきなさい。敵は私が引き受ける。目的地はすぐそこよ」間をおいて、私は雇い主とAS VALを交互に見やる。「勝手に死んだりしない。そう信じてもいいんですね?」彼女はクマを撫でながら、私のほうへ大きな笑顔を向けた。「当たり前よ……夜戦において、私の右に出る者なんていないわ。ミス・テレサ……私の友達をお願い」私はミス・テレサを背負って廃れた小屋へと走ってゆく。夜の闇は深く、ジープの輪郭はすぐに見えなくなってしまった。老人の歯のように欠けている風車の傍、こぢんまりとした建物が夜明け前の暗闇に隠れていた。「ルーサンの庭」にルーサンはなかったが、代わりに朽ち果てた扉にルーサンの絵が描かれた木牌が釘つけられていた。天井にはすっぽりと穴が開いていて、壁には今にも落ちそうな木板が何枚か掛けられ、ところどころに焼けた痕跡がある。調度品の一部が残っていることが奇跡にさえ思えた。私は脚で床に転がっていた箱の丈夫さを確かめてから、ミス・テレサをその上に座らせた。そして、地面から一本のロウソクを拾い上げる。ロウソクの弱々しい光が部屋を照らすと、私はミス・テレサの向かい側にぼろぼろの化粧台があることに気づいた。鏡には少し狼狽した年寄りの顔が映っている。「ミス・テレサ、ここで間違いありませんね?」返答はすぐには返ってこなかった。彼女は眉を顰めながら茫然とした様子で鏡に映った顔を見つめる。そして、鏡面の埃を払拭しながら、指で鏡の顔をなぞりはじめた。そんな彼女につられて、私も口を閉じて周囲への警戒を強めた。部屋には生活の痕跡が見て取れるが、長期間使われていないのは明らかだった。ここがミス・テレサの家なら、彼女の家族はもう……家の外には凸凹した地面がある。何か埋められているのであろうか?一体誰が……「あっ!」「どうかなさいましたか!?」彼女の突然の叫び声に、私は意識を現実に引き戻される。「ごめんなさい、お客さんをずっと立たせていたわ」ミス・テレサはよろめきながら立ち上がって、両手を私の肩にあてて箱の上に座らせようとする。「少し待って、今お水を持ってくるから」言うな否や、彼女はふらついた足取りで棚のほうへ歩いてゆく。というのも、棚らしきそこには板しか残っていないが。「コップは確か……あ、モラクのコップだわ!これでどう?」彼女は空っぽの棚の前で何かを漁りはじめた。「モラク?」「私の弟よ。風車の傍に埋められているの」「埋め……」私は一瞬彼女の言葉が理解できなかった。「外で食べものを探す時にウルススに遭遇して、ヘリックに見つけられた頃には脚一本しか残っていなかったの。しかも私が編んであげた靴下を履いていたわ……はぁ、あんまり運動神経が良いほうではなかったから、逃げられなかったのね」とっくに事実を受け入れているような淡々とした口調からは、哀しみが滲み出ていた。「その後、ここはまた私とヘリック、テラールの三人に戻ってしまった」「三人?この前は八人って……では、他の子たちは全員……」「ええ、みんな生骸に襲われるか、長期間栄養不良で……ここの子供は育つのが難しいから。仮に大人に成長しても、E.L.I.D.になってしまう……この手袋、少し邪魔ね」水を注ぐために防護服の手袋を剥がそうとする彼女を見て、私は慌てて阻止する。この汚染エリアでの生活が困難であることはわかっているつもりだった。しかし、こうして直接対面するとやはり……心情が重くなってしまう。はっ!今は沈んでいる場合じゃない。先ほどのミス・テレサの状態は明らかにおかしかった。E.L.I.D.がこれ以上悪化する前に早く彼女を汚染エリアから連れて帰らないと。「ミス・テレサ、そろそろ戻りましょう。このままだと――」「テラール、あなたは彼らが可哀想だと思わない?」「え!?」ミス・テレサは手袋を付けた両手で私の顔を少し持ち上げてから、優しくて眩しい笑顔を近づけてくる。マスク越しに見える瞳は少女のように生き生きとしていた。「あっ……私は……」「大丈夫」彼女はその場でクルッと回転した。普段着ているドレスなら、裾が舞い上がっていたところだろう。「学校から卒業したら、私がここを変えてみせるわ!」「卒業?まさか……汚染エリアにも学校が?」「残念だけど、汚染エリアに学校が開設された例は未聞よ。私が言っているのは、グリーンエリアの学校のこと!」彼女の顔は憧れに満ち溢れていた。「開いたばかりの学校でね、本来はグリーンエリアの子供たちのために建てられたんだけど、定員割れを防ぐために汚染エリアの学生も受け入れているの。健康診断とテストに合格すれば入学可能よ。先ほどテスト結果を確認したら、合格していたわ!これで学校へ通える!」こんな饒舌なミス・テレサは今まで見たことがない。「グリーンエリアで落ち着いたら、あなたたちを迎えにくるわ。あちらに行けば、もう死ぬことはない。ヘリックも……」彼女の顔が突然曇る。「ヘリックが……どうしたんですか?」私は試し気味に質問する。「ヘリックは、私が学校へ通うのに反対だった」ミス・テレサは箱の上に腰を下ろし、頬杖をつく。「てっきり、彼も喜んでくれると思っていたんだけど……彼は学校が、政治家がグリーンエリアに人を引き寄せて支配するための手段でしかないと……それに、学校に通ったところで、何も変えられはしないとも言っていた」「でも、ここで死ぬのを待っているよりはマシです!」彼女は体を前傾させ、まるで同意を求めるかのように手を握りしめてきた。「そうね。もう一度彼と話し合わないと。今回は喧嘩にならないよう注意するわ。でも、また彼に反対されようと、私は……」「テラール!一緒にいきましょう!ヘリックが反対するなら、気絶させてでも連れて行ってあげるから!」ミス・テレサは突然立ち上がって、私をギュッと抱きしめた。私は緊張して口走る。「私はテラールではありません!」彼女は私を離して、再び私の顔に目を凝らす。その表情は段々険しくなって、少女のような明るさがなくなった。「9A-91だったのね……ごめんなさい」私は額に手をあてながらふらつく彼女を支える。「そろそろ戻りましょう、ミス・テレサ」間をおいてから、彼女は落ち着いた様子で私のほうに頷いた。「そうしましょう。外で少し待って。私は少し休憩してから……化粧を直した後に出るから」「僭越ながら、ご自分でマスクを取り外せるんですか……」私は鏡のほうへ歩き出す彼女を引き止めた。ミス・テレサは軽く私の指を叩いてから私の両手を握り返し、軽く首を横に振った。そして、優しく微笑む。「大丈夫よ、9A-91。もう……何も心配はいらない」私は呆然と彼女を見やる。その顔は一瞬で蒼白になり、化粧を直していない唇は灰色になっていた。私は自分が雇い主を見つめすぎていることに気付いて、咄嗟に視線を逸らして手を戻し、自分でも聞き取れないほど小さい声で彼女に言った。「で……では、放射線を浴びすぎないよう気を付けてください」「わかったわ」防護服を整えた後、ミス・テレサは割れた鏡の前でマスクをめくりあげ、丁寧に口紅を塗り始めた。そして仕上がりを確認すると、マスクを付け直してから、すでに元の形を失った埃だらけのベッドのほうへ近寄り、そのまま横になった。「それじゃ、9A-91、少しだけひとりにさせてちょうだい」汚れたマスクに隠れた真っ白の顔の上に、真っ赤な唇が優雅なカーブを描いた。私は部屋の外へと足を運ぶ。その足取りはいつもより重く感じた。「9A-91、ここでの生活が私という人間を作り上げた」ミス・テレサは両足を交差させて姿勢を整える。「あなたたちは、どのような人間になるのかしら?」「わ……私たちは――」私達は人形なので、プログラム通りにしか動けません。言いかけた言葉は喉に詰まったまま出てこれず、私は途中で言葉を変えてしまった。「私たちは、外で待っています」彼女はきっと他の答えを期待していたはず。しかし、ベッドに横たわっているミス・テレサの笑顔はとても眩しかった。日が昇った。温かい光が壁の隙間から差し込んで、彼女の顔をきらきらと照らす。「焦らずに、ゆっくり考えるといいわ。あなたたちにはまだ、たくさんの時間がある」彼女は瞼を下ろした。私は部屋を出て、扉を閉じた。ルーサンが描かれた木札は地面に落ちて、風に巻かれながらカタカタと遠方へ転がっていく。まるで漠然と汚染エリアを彷徨う人間のようだ。離れてゆく木札を眺めながら、ミス・テレサの毅然とした声が脳裏に反芻する。あなたたちは、どのような人間になるのかしら?微かな光の中、遠くのジープが汚れた地面に長い影を落とす。車の屋上では、AS VALがクマを持ち上げてこちらに手を振っていた。私も手をあげて、笑顔を返そうとするが、どうも口角が上手く上がらなかった。私たちは、どんな人間になるんだろう?……AS VALにも聞いてみよう。昇る朝日の光を浴びながら、私はジープへと歩を運んでいった。
2月25日、憂鬱明日、またあのくだらないオフラインイベントに参加しなきゃいけない。全然いきたくないけど、ライリーはテレビ局が中継するから絶対に参加しろって言うし。「もう長い間ろくな番組にも参加していない。目下は露出度を上げるのが重要で、僕たちに選り好みする資格なんてないんだ」マネージャーがそういうなら、仕方がないか。。確かに今の私にとっては、人気を上げることが重要だし。どうしてこんなことになったんだろう?オーディションの頃はてっきり、大スターになって映画に出演したり、綺麗なヒロインを演じてウェルテルエリアの有名人になれると思っていたのに!結局、それなりにマシなキャラを演じたのは一、二回くらいだけだった。それ以来はつまらないエキストラ、イメージを損なうようなCM契約、出演時間10分程度のモブキャラ……そんな出演依頼しかこなかった。私と同期のレイチェルも脇役だったけど、すでに出演した映画の幾つかがバズってるし、マリーナはモデルデビューして雑誌の表紙にも何度も載ってたし、あとローラはアルバムを出してるし……私も全然劣ってないのに、なんで私だけ出世できないの?一体どうしたら大スターになれるのかしら?2月26日、サプライズな一日今日はたくさんの出来事があった。まだ頭がパニクっていて、わちゃわちゃしてる。とりあえず、午後に行われたイベントでの出来事から話そう。そのイベントについてだけど、やっぱりライリーに断ってもらったほうが良かったな。テレビにでれるのはいいけど、カメラマンは主役の俳優さんしか眼中になくて、私には全然カメラを回してくれなかった!イベント後のゲスト退場。先頭を歩く主役のテイラーは出てからすぐさまファンに囲まれて、周囲がごちゃつき始めた。外ではフラッシュライトがいっぱいチカチカしている。私は人混みの中心にいる彼女が羨ましくて堪らなかった。彼女以外にもファンに囲まれた俳優が何人かいたけど、私の周りは誰一人おらず、あまつさえ、「用がないならそこをどいてくれない?」とまで言われてしまった。ライリーが駆けつけてきてくれたのは、私が道端でしばらく待ってからのことだった。またスケジュールチェックをしようだって。そんなことしても、私が落ちこぼれマイナー俳優である事実は変わらないのに。だから私は彼に構わず、言いたいことだけを言ってから、ひとりでその場を離れた。会場を離れた後、私はどこか静かな場所を探しながら適当に歩いていた。それからしばらくして、私は何者かに尾行されていることに気付いた。凶悪な様相をした黒ずくめの男たちである。まさか、また汚染エリアにいるお父さんのかたき?私は緊張しながら彼らの目を盗んでそこら辺の店舗に入り、服も髪型も変えて、ベレー帽子も被った。私は映画を演じる時のように自分を落ち着かせ、通りすがりの顧客を装って外へ出ようとする。無事店の外に出れた後、私は思わず一息をついた。しかし、奴らは外にも監視を付けていた。私が外に出た途端、誰かが声を上げた。「ここだ!服を変えているぞ」「早く追え!」やばい、見つかっちゃった!私は全力で前へ疾走する。しかし途中で誰かにぶつかって大きく転んで、帽子も外れてしまった!なんとか起き上がろうとするが、ぶつかった箇所が痛すぎて力が上手く入らなかった。私がぶつかったのはオシャレな少女だった。彼女は「ごめんなさい」と謝りながら私を起き上がらせようとする。でも私は自分を追う黒ずくめの男で頭がいっぱいで、思わず後ろを振り向いた。まずい!もう追いつかれた!「リフィア!」彼らは叫びながら迫り寄る。ヤバイヤバイヤバイ!まさか本当にお父さんの仇敵に遭遇するなんて!私は目の前の少女に構う暇もなく、起き上がってから再び走り出した。しかし想像していた展開は起きなかった。一定距離走った後、私は柱の後ろに身を隠して、慎重に頭を覗かせる。思い返してみれば、当時の私は一生懸命観客の視線を勝ち取ろうとする道化のようだった。先ほど私を追いかけていた人たちは、私がぶつかった少女を取り囲んでいて、狼狽する私を気にしている者なんて一人もいなかった。私がとった行動はというと……こっそり道を引き返したのである。正直、馬鹿と言われても返す言葉がない。でも、どうしても何が起こっているのかが知りたかった。少女の顔ははっきりと見えないが、その背中姿からは余裕感が見て取れ、堂々とした佇まいはどこか得意げにも見えた。「え?なんだ、私のファンだったの?早く言ってくれればいいのに!サインがほしいの?」「サインだと?ふざけやがって、アイドルごっこも大概にしろ!貴様、ペトロの娘で間違いないな?貴様の親父に用がある。少し付き合ってもらうぞ!」「へぇ……良くないなぁ、そういうの~じゃ、少し痛い目にあってもらうよ!」「あぁ?何だと……ぉぉおおおっ!気をつけろ!銃を持ってるぞ!ぐはっ!」私は呆れて言葉を失ってしまった。拉致対象の顔の区別もつかないなんて、どこの間抜けに雇われたんだが。だから追いかけてこなかったのか。でも、そんな考えはあっという間に上書きされてしまった……小柄な少女は機敏に男たちの攻撃を躱していた。彼女が握る銃はまるで生きているみたいに精確に男たちの首を叩きつけ、男たちはあっという間に全員倒されてしまった。すごすぎる。あの画面を思い出すだけで今も興奮する。それよりも、重要なのは……私は彼女の顔をはっきりと確認できた!当時、私は完全に呆気に取られ、隠れるのも忘れたまま、自分と瓜二つの少女が近寄るのを眺めていた。相手も同じことに気付いたようで、私を上から下までじっくりと見回してから、驚きを漏らした。「え!私にそっくり?」「……こ、こっちの台詞よ!誰なのよあなた!」あと少し、あと少しで私は自分に双子の姉妹がいると勘違いしてしまうところだった。私の「姉妹」は少しぼーっとした後、横になっている黒ずくめの男たちと私を交互に見やってから、突然頭を抱えながら叫びだした。「う、うそ!まさかあなた、リフィア本人なの?」彼女の興奮した表情を見て、私は突然何かを悟った。「その……まさか、あなた……私のファンだったりして……」……十五分後、私はその「P90」という少女と最寄りのカフェの席に腰を下ろした。お礼としてコーヒーでも奢ろうとしたんだけど、彼女は申し訳なさそうに舌を出した。「リフィアのデザートをもらいたいのは山々なんだけど、残念ながら、あたしは人形なの!戦術人形!」「え!?えぇ――?」「戦闘なら得意だよ!あいつら、あたしに出くわしたのが運の尽きだったね、えへへ~」「あなた、人形なの?」私は少女の顔をじっくりと観察する。「ぜ、全然見分けがつかない!」「へへ~あたしはリフィアの大ファンだからね、見た目を似せるのに結構工夫しているんだから!」それからも、私はしばらくお話をした。P90はコスプレが趣味で、他人を扮するのが得意らしい。彼女曰く、私のファンになったきっかけは『瀟洒な魔女』であり、それから私の見た目を真似るためにたくさん練習したらしい。その映画なら覚えている。私が出番が少ないファッションデザイナーを演じていた映画だ。だけど、P90はその映画がすごく好きだと言ってくれた。とくに服地を裁断する仕草が気に入っているようで、そのシーンのモノマネをしながら可愛いと褒めてくれた。彼女のパフォーマンスを見た私は、すごく嬉しかった。何を隠そう、このキャラで褒められたのは初めてなのである。それに、本当に私にファンがいたなんて、思ってもみなかった。「……今日はありがとう」別れ際、私は午後の寂しいイベントを思い出して、もう一度彼女に感謝の意を述べた。「ど、どうしたの?突然お礼なんかして?」私はうつむく。「私ね……最近全然人気がなくて。時々、俳優になるのを諦めたほうが良いんじゃないかって考えたりもするの。そもそも、誰も気にしていない俳優なんて、存在する意義すらないし――」「やめて!」P90は私の手を力強く握りしめた。「リフィアはすごく魅力的なのに、人気がないはずがない!このまま諦めるなんて、もったいないよ!」「でも、中々いい依頼がこないし……」P90は私の言葉を遮るように私の肩を抱いてくれた。「もう、そんなぐじぐじしないの!あたしはリフィアのことずっと応援しているよ!」「え?」「モノマネが得意なあたしから見るに、リフィアには演技の才能があるわよ。今人気が低いのは、出演回数が少なくて知名度が低いせいだと思う。だけど、頑張って続ければ、きっと皆に好きになってもらえるはず!」「本当?」「本当本当、あたしはそんな嘘つかないって!」P90は笑いながら答える。彼女の瞳はキラキラと輝いていた。「あたしは、リフィアならきっと大スターになれると信じてる!それまではファンとして応援し続けるから!」……家に帰り着いた後も、私は頭がくらくらしていた。私はP90の話をあまり真に受けていなかったけど、考えずにはいられなかった。本当に、この私が大スターになれるの?
3月6日、新しい友だち最近の依頼もつまらないもんばっか。P90のせいか、最近の依頼は比較的真剣に取り込んでいる。でも今まで通り、ネットではまったく話題になっていなかった。まあ、結果がどうであれ、P90が応援してくれているからいいか。「今日現場にいったんだけど、今日のリフィアも輝いていたよ!」「リフィアの新しいステージ姿、綺麗だったから少し真似てみたんだけど、どう?似てるでしょ?」 「へへ、さっきまたリフィアの以前の映画を見つけたんだ。今夜見ようっと。どれかあててみて?」……ベッドの上でP90とのトーク履歴を遡っているうちに、時間がだんだん過ぎてゆく。凄いな……まだ知り合ったばかりなのに、もうこんなに多くのことを語り合ったのか。P90と知り合ったおかげで、今までつまらなかったイベントもなんか面白くなってきた。そう考えてみれば、あの日彼女に出会えて本当によかった。私たち、たぶんもう……友達だよね?3月10日、チャンスがきた! 新しい依頼がきた!映画『百回目の日の入り』の宣伝だ!私は脇役しかもらえなかったけど、映画自体は気に入ってるんだよね。台本を何回も読み返して、その役の物語も補完した覚えがある。ライリーによると、このイベントはネットで同時配信され予定で、出演者は全員顔を出せるらしい。私にとっては知名度を上げるいいチャンスである。有名になるために頑張らないと! このことをP90に教えたら、自分の出来事のように喜んでくれた。「やったじゃん、あの映画でのパフォーマンスはすごくよかったし、今回は知名度が上がること間違いなし!」P90はそういった。私は彼女が送ってきた長文にうきうきしながら返信した後、再び台本を手に取った。ライリーと話し合って、ここ数日は家で休養がてら台本を復習しながらイベントに備えることにした。このチャンスを見逃すわけにはいかない!
3月13日、お願い、P90!皮膚アレルギーが出た。どうしよう……もっとスキンケアに注意したいだけだったのに、あの美容師が化粧品を変えて、しかも私に何も言わずに顔に塗りつけたの!それで顔が大袈裟に腫れちゃったわけ。氷をあてたら、腫れは大分良くなったけど、やっぱり普段のようにはならなかった。こんな姿じゃカメラの前に立てない。明後日の番組は取り消しかな……私はツキに見放されているのかな……悔しい。待ちに待った絶好のチャンス、服装、台本、メイク、全部真剣に準備したのに……全部台無しだ。P90がチャットで準備は順調に進んでいるかと尋ねてきた。今の姿を見せたら、彼女は何を言うのだろう?慰めてくれるのかな?それとも、面白い画像を送って笑わせようとしてくれるのかな?ん?そういえば……あの日、P90に会ったとき、黒ずくめの男たちって見間違えをしてたよね?そういうことなら……良いアイデアを思いついたかも。私はすぐさま端末を取ってP90にメッセージを送った。「P90、唐突かもしれないけど、ひとつ頼まれてくれる?」「その……私の代わりに今回の番組に出演してほしいの」3月15日、P90、私の救い星!あー、緊張してきた。今日がP90が私の代わりに番組に出る日だ。最後の希望のつもりで思い切って頼んでみたとはいえ、あんなにあっさり引き受けてくれるとは思わなかった。あの時の彼女は冗談抜きで本当に天使のように見えた!しかも、彼女はどや顔で私を慰めてくれた。「安心して任せなさい!あなたが今まで積み重ねてきた努力は、あたしが代わりに皆に伝えてあげる!」とはいえ、彼女がステージに上がる時間が近づくにつれ、やはり緊張せずにはいられなかった。リハーサルではライリーの目さえ騙しきれたけど、あんな大勢の観客の前に立つのだから、やっぱり心配するなと言われても無理な話である。誰にもバレませんように!さもないと、私のキャリアは終わりを迎えてしまう。ついに……長い午後が過ぎた後、配信が始まった。この映画の主役は全員私が好きな俳優さんだったけど、彼らにはまったく注意がいかなかった。私の頭の中はP90でいっぱいだった。初ステージ、本当に大丈夫かな?しかも、私は心の中で彼女に余計なカメラが回されていないことにホッとしていた。そして、ようやくP90の出番が回ってきた。進行役に案内されながら、P90はカメラの前で私とそっくりの笑顔を決めた。「やっほー、こんにちは、リフィアです!『百回目の日の入り』では、花売りの少女ジェニーを演じさせてもらっていま~す」簡単な自己紹介の後、進行役は彼女と映画のシーンについて語り始めた。この部分は予め用意しておいたから、P90の返答はばっちりだった。よかった、笑顔も答えも完璧。私はまるで鏡の中の自分を見ている気分だった。会話はすぐに終了した。私はカメラから離れてゆくP90を見ながら一息をついた。これで今日の出演はおしまい……意外が起こらなかっただけで満足するべきか。少し心残りはあるけど、仕方ないや。これ以上P90に期待するのは間違っている。何しろ、これは彼女の初ステージなんだから。私は再びソファーに身を沈め、チャンネルを閉じようとしたその時、進行役が突然口を開いた。「次は今日のサプライズコーナー、ゲストたちには現場でパフォーマンスを披露してもらいます!ただーし、演じる役はくじで決められ、加えて自分の役は選べません!」「すでにこちらに五枚のカードが用意されています。では、どなたから――」「はいはーい、私にやらせてください!」誰かが割り込んだ。P90だ!私の緊張感は一瞬でピークまで達した。こんなことリハーサルで練習してないのに!そんな私の心情など関係なく、P90は飛び跳ねながら進行役の傍にやってきて、申し訳無さそうに手を振った。「えへへ、できれば私に先にやらせてください。この映画は私のお気に入りなんです!」「もちろんです」進行役は一瞬で意外そうな表情から切り替えて、P90にカードを渡した。「では、リフィアさん、カードを一枚お選びください。いやー、花売り少女がどのような変貌を遂げるのか楽しみですね」私は緊張しながらP90がカードを引き抜くのを見守る。「どれどれ、やった、主人公アントンだ!」P90は興奮して踊り出す。ええ、よりによって男キャラ!「これは少しハードルが高いかもしれませんね。リフィアさん、本当に大丈夫ですか?」「はい!」P90は糸目で笑った。「アントンは”ジェニー”を恋に落としたキャラだからよく知っています!」言うな否や、P90は手を上げて帽子のつばとマフラーを整える仕草をした。その後、彼女は屈んで存在しない花の茂みから一輪のバラを摘み取り、鼻先を近づけて物憂げに香りを嗅ぐ。そのとき、彼女は驚きながらピタッと止まった。そして慌てながら二歩ほど後ずさって無意識に花を握りしめ、誰もいない前方に目を凝らす。「……失礼しました。まさか、ここがあなたの花園だったとは」――アントンが初めてジェニーに出会ったシーンだ。バラ園の中、彼は恋人を思うあまり、誤って少女が育てた花を摘み取ってしまった。それが花売りの少女が神秘的な異郷人に恋をした瞬間である。主人公アントンは感情が複雑で控えめなため、彼のシーンは何度も撮り直した覚えがある。なのに、こんな完璧に演じられるなんて……あり得ないとばかりに目を凝らしていると、画面に主人公を演じていた俳優が映された。彼も一瞬ぼーっとしてから、すぐに笑顔で拍手をしはじめた。それにつられて、ステージの下から拍手の嵐が鳴り上がった。進行役はステージの中心に佇むP90を見つめながら、忽然と手を伸ばした。「リフィアさん、もう一枚如何ですか?」……結局、P90は四人のキャラを演じる羽目になった。物憂げなイケメン主人公、プライドの高いヒロイン、傲慢で常識のない領主、そして邪悪なる大盗賊。P90は自在にキャラを切り替え、誰もがその自然で、流暢で、生々しい演技に見惚れていた……終わりに、彼女は再び花売りの少女ジェニーを演じて、観客たちの前で私が構想したシーンを演じた……番組はまだ終わっていないのに、私の通信端末にはメッセージが殺到していた。同業者からの挨拶、友達からの褒め言葉……ライリーのほうからは、メデイアやパートナーから大量の招待が届いたとの連絡がきた……見てみ見ても見終わらない。「リフィア、配信をみたんだけど、すごく上手だったよ、最高!」「演技がそんなに上手かったなんて、今まで知らなかった!」……信じられない。P90の演出により私は再び皆に見てもらえるようになり、見込みのある俳優だと認められた。私……本当に人気になった?
3月28日、大好き!P90が私の代わりに番組に出演したあの日から、私はたくさんの出演招待を受け取った。あの夜のP90の演技を見ていた時の感覚は今も思い出せる。翌日に大量の連絡を受信したとき、私は現実感がわかなかった。私は私の代わりに素晴らしい演技を披露してくれたP90に感謝を告げた。彼女は逆に私を励まし、私にも実力があるから同じことができると言ってくれた。「頑張れば絶対に皆に受け入れてもらえるよ!」彼女はそういった。通信機の向こうで笑いながら私を励ます彼女を見て、私も思わず笑い出した。ええ、私も頑張るわ!P90の信頼に応えないとね!5月11日、どうしよう「新人俳優リフィア、演技で不調が続く」自分に関する最新の記事を見た私は、怒りと悔しさでいっぱいいっぱいだった。よくもこんなことを!ここ一ヶ月はずっと真剣に演技に取り組んでいた。たしかにあの配信みたいには成功しなかったけど、ミスは一度たりともなかったし、「不調」とまで言われる筋合いはないのに!批判的な記事はこれで二回目になる。この前は最近の演技は平凡すぎて「配信での驚きのパフォーマンスはもう二度と見れないかもしれない」とか言われていた。悔しい。P90の演技は確かに素晴らしかったけど、毎回あんなチャンスに巡り会えるわけじゃないし……ライリーは批判的な記事は人気のある証だと言ってくれた。でも否定され続けると、せっかく良くなった評判が台無しになっちゃう。P90は毎日元気づけてくれるけど、最近は依頼の数が見るみる減っていて、メデイアも私に興味を失いつつある……どうしよう……5月25日、決意最近、また幾つかのイベントに参加した。でもオフラインイベントのほうもオンラインイベントのほうも、大きな波は立たなかった。わからない。私の演技がまだ拙いから?それとも、あの日のP90の演技が見事過ぎたから?私の人気は下がる一方で、ライリーも気が晴れない様子だった。このままじゃやだ……だから、深慮の結果、私は引き続きP90に私の代わりに出演してもらうことにした。私はわざわざ時間を取って彼女と会い、真剣な態度で助けを乞った。「お願い、P90!皆の期待に応えるために、演技力を高める必要があるの」P90は躊躇いながら私を見やる。ずっと私の代わりに役を演じ続けるのが面倒だと思われているのだろうか。「もちろんタダじゃないわ。報酬金はちゃんと出すから!」「お金の問題じゃないくて」P90は首を横に振る。「今のリフィアの状態じゃ、人気を保つのは難しいって言いたいの」「だから、少し休養の時間がほしくて、P90が助けてくれれば……」P90は少し困ったような顔を見せ、少し押し黙ってから頷いてくれた。「そこまでいうなら、引き受ける。でも別にお金には困ってないから、報酬金はなしで。あくまで友達として助けるだけだからね!」「え?そんなんじゃ私が気まずいでしょ――」私がどうしてもというので、最終的にP90は半分の報酬を受け取ることにした。彼女が同意したとき、なぜか大きく安堵している私がいた。
6月16日、よかった人気が戻った!P90が身代わりになってくれてから一ヶ月も経たずして、私に関するニュースがまた増え始めた!以前私を批判していたメデイアからも称賛をもらえた!やっぱり、P90には天賦の才がある!このままずっと私の身代わりになってくれたらいいのに……そうすれば、ステージの下で彼女のパフォーマンスを見ているだけで批判的な声を聞く必要もなく、演技力が足りないせいで皆を失望させる心配もない……毎日が気楽に過ごせる……本当に、P90をずっと身代わりにさせていいの?8月28日、うるさいP90はどうしても私に自分で出演してほしいと言ってきた。気が乗らなかったけど、彼女は私自身で出演してほしいの一点張りだった。それは私がパックをしてソファーでくつろいでいたとき、P90がイベントスケジュールを手に突然押し寄せてきた。「ほらみて!新しいイベントなんだけど、リフィアが好きな俳優さんも参加するそうだよ!ずっと一緒に出演したがってたでしょ。絶好のチャンスだよ!」P90は嬉しそうにスケジュールを私の手に握らせる。たしかにゲストリストは魅力的だったけど、スケジュールを見た途端に参加する気が失せてしまった。まったく参加したくない。自分がP90に劣っていることは分かっていた。私が出たら人気が下がるに決まっている。でも、P90は自信ありげに私の肩を叩いた。「そんな顔しないでしよ、簡単な依頼なんだから。演技力を上げるためにあれだけ頑張ったんだし、絶対にうまくいくって」本音を晒すと、「演技力を上げる」というのは怠けるための言い訳に過ぎなかった……でもそれをP90に面と向かって言う勇気など、私にはなかった。今ここで白状すれば、きっとP90は私の身代わりを辞退するに違いない。……難しい状況。一体どうすれば……いつものように甘えてやり過ごしたいのは様々なんだけど、P90は意を決しているようだし、断るのを許してくれそうにはなかった。結局、私は引き受けることにした。だって断れないじゃん!幸い、P90は準備を手伝うことを約束してくれた。彼女が手伝ってくれるなら、演出も上手くいくよね?
9月2日、わからないわからない、なんでこんなことになったの!演出を成功させるために、私とP90は先週から練習に取り掛かり、台詞の練習やステージ姿の準備などをしていた……できることは全てやった。パフォーマンスの仕上がりについては、P90のお墨付きである。なのに……P90が励ましてくれれば、きっと上手くいけると信じていた。ステージに立つのは久しぶりだけど、映画のキャラの有名シーンはすべで予習し、当日参加するゲストたちの代表作も全部鑑賞してP90と一緒に練習を済ませた!だからキャラ交換コーナーが開始したとき、私は喜んで手をあげた。くじ引きの時の皆の興奮した様子が今も目の前に浮かぶ。それで、私は自分が引いたくじを確認した。『蝶の寵児』のサブヒロイン――これは私が宣伝を担当する予定の映画だから、元々詳しい。『赤いクリスマスの夜』のヒロインのクリスマス魔女――これはゲストのリリアンの代表作だ。P90と練習済みである。『迷い海』の主人公のピアニスト――これは私が一番好きな俳優クリスが演じたキャラだ。少し難易度が高めだけど、何度も見返したから問題ないだろう。うん、きっと問題ない。少なくとも、当時はそう思っていた。最初に選んだのは『蝶々の寵児』。前回のように、一番有名なシーンを選んで演じた。次はクリスマスの魔女、これはP90と練習したシーンを披露した。その次は海を彷徨うピアニスト……私はクリスの演技を思い出しながら、自分を主人公とシンクロさせる。しかし演技の途中、私は進行役に肩を叩かれた。「リフィアさん、もう十分ですよ」え?これだけでいいの?私は呆けたままステージに突っ立つ。「はい、もう結構です」進行役は奇妙な笑みを浮かべながら、礼儀正しく私を席に戻した。「リフィアさんのパフォーマンスに拍手を!」進行役がそう言うなら仕方がない。私は言われるがまま席に戻った。前室に戻ると、監督は進行役と同じように変な笑顔を向けてきた。ライリーもそうだった。気まずそうな表情をして、何か言いたげそうだった……ライリーに尋ねてみても、彼は何も言わず、ただ家に戻って休むよう返してきた。私は言われた通り家に戻り、演出に関するコメントを検索しはじめる。「今日のリフィアはあざとすぎる!マジでむり……」「先週は良かったのに、急にどうしたんだ?まるで別人じゃないか。あれじゃ、ステージに何ヶ月も上がっていないと言われても頷いてしまう……」「MCが止めてくれてよかった!あれ以上は目に毒だ!自分の役がめちゃくちゃにされるクリスの気分になってみろ」……目に映る全てが批判だった。あざとい、不自然、調子が悪い、見苦しい……そうか。だからライリーと監督があんな表情をしていたのか。クリスが私に見せた気まずそうな笑顔も――私がしくじったからなのか。通信端末がずっと振動している。ライリーだ。「リフィア、大丈夫かい?」 私が沈黙するのを確認して、ライリーは自分で語り始めた。「今回は、君の不調に気づけなかった僕の落ち度だ。しかし、調子が悪いならなぜそう言ってくれなかったんだ?現場を見ただろ、あの気まずさ……」「俳優とは日頃から一歩ずつ評判を獲得していくものだ。安定した演技を出せないと、評判を保つのは難しい……コメディーの依頼は希少なのに、この状況だと、やっとのことで得た評判が……」私は通信を切って、端末を遠くへ放った。私は悲しいと同時に、少し怒っていたのかもしれない。マネージャーのくせに、ライリーは自分が褒め称えていた、やっとのことで人気になった「リフィア」が私本人でないことにさえ気づかなかった。しかも、私は真面目に演技したのに!P90も一緒に練習してくれたのに……P90は私の演技に問題はないって言ってくれたのに!ちょっと……待って。もし私の演技が怪しいなら、なんでP90は練習でちゃんと教えてくれなかったの?――私はずっと不思議に思っていた。なぜ彼女が頑なに私を今回の演出に参加させようとしていたのか。今になって、ようやくわかった気がする。そうか、私に恥をかかせようとしていたのか。彼女がいないと、私は何もできないんだって、そう思わせたかったんだ!通信端末がまた振動し始めた。P90だった。どの面さげて私に連絡を寄こすの!しかも、長文を打って、思ってもないくせにごめんなんて。気持ち悪い。気持ち悪い!彼女のメッセージなんて見たくない!彼女の声も聞きたくない!9月17日、構いたくない最近のイベントは全部、P90が代わりに出演してくれた。埋め合わせのつもりなのか、聞いてもいないのに自分から出演してくれた。フン、行きたいなら勝手に行けばいいのよ。元々彼女のせいだし。おかげで私はネットで半月も笑いの種にされ続けたんだから。私はとても怒っていた。P90は謝ってくれたけど、彼女のことは構いたくなかった。何か言いたい言葉があるようだったけど、もうどうでもいい。何も聞きたくない。以前ほどの人気を取り戻せたら、考え直してあげてもいいけど。10月13日、なんでよ私はしぶしぶP90のことを許してあげた。なんせ、人気を取り戻すためには彼女に協力してもらう必要があるし。毎回仕方ないふりをしながら彼女に頼むのは気が進まなかった。でも人気のためだから、そうせざるを得ない。まあ、ちょうど良かったじゃない。元々演技が好きなんだし。ステージで好きな俳優を演じられて、観客にも大人気。不満があるなんて言わせないわよ。……でも、本音を言うとやっぱり彼女のことが羨ましかった。ステージで元気に動き回る彼女を見るたびに、私は羨ましい感情でいっぱいだった。なんでよ……なんで彼女はあんな簡単に人気になれて、私はどう頑張ってもダメなの?なんでなのよ?彼女は身代わりで、私こそが本物のリフィアなのに!11月10日、ごめんなさい……この日記は、どう書いたらいいのかわからない。もう一週間も過ぎたのに、私は……なんであんなことをしちゃったんだろう。私の馬鹿……もう、P90に会えない……
12月17日、さようならあの事件から一ヶ月半が経った。そろそろ気持ちの整理もついたので、当時の出来事を記録しようと思う。あれは日曜日、P90はいつものように私の代わりに演出に参じた。私はベッドの上で必死に吐き気をこらえながら、画面の向こうの彼女が私と同じ顔で観客たちに手を振っている姿を眺めていた。P90が演じる「リフィア」は本当の私と段々差が開いていった。そのため、その一ヶ月間の公開イベントはほぼ全てP90が代役していた。私は顔を出すところか、家から出る勇気さえ失っていた。またやらかしてP90が代役であることがバレてしまったら、今度こそ終わりである。でも、あの夜、私のもとに一枚の写真が届いた。その写真を一瞥しただけで、私は驚く余り通信端末を遠くへ放り投げてしまった。――写真の中には、はっきりと二人の「リフィア」の姿が映っていた!間違いない。それは幾日前、私が玄関で私の姿で出かけようとしているP90と話している光景だった。あー、おしまいだ!私の秘密が、P90がリフィアを演じていることが何者かにバレちゃった!どうしよう?私は窓もカーテンも閉ざして、布団の中に隠れこんだ。しばらく経った後、私は薄々と写真の下側に文字があったような気がして、再び端末を開いて例のメールを確認した。写真には、確かに文字が添付されていた。「親愛なる”リフィア”さん:「あなたの秘密はすでに知っています。「もし今後も俳優として活動を続けたいのなら、明日の昼12時前にこの額のサルディスゴールドを指定位置に置いておいてください。さもないと、この写真と付録を全てのメデイアに公開します」「あなたの忠実なファンより」付録は「リフィアと彼女の身代わりについて」という名の記事だった。内容は私が人気になってからの変化を詳細に分析したもので、誇張な表現も見当たるが、大体は事実と一致していた。まずい……このメールが公になったら、私の評判は地に落ちてしまう!それだけはなんとしても免れなければならない!でも――私はメールに記された金額をもう一瞥した。私にこんなお金用意できるわけないよ!どうしよう、どうしよう?突然、私はお父さんのことを思い出した。お父さんならきっとこの額のお金も出せる!いや、お父さんなら、あるいは――身分が身分であるため、仕事の事情でお父さんに頼み事をするのは極力避けてきたけど、今に限っては躊躇っていられない!私は即座にお父さんに連絡した。幸い、通信はすぐに繋がった。「リフィア?どうしたんだい、そんなに慌てて?」「お父さん!」私はお父さんの顔を見て号泣しはじめた。……私はお父さんに匿名メールのことを話した。しかしお父さんはメールを見た途端、笑いながら大丈夫だと慰めてくれた。今まで知らなかったけど、お父さんは同じようなことを経験したことが多々あるそうだ。その後、お父さんは部下にこの件を一任し、今夜までには解決してくれると約束してくれた。「私の娘を恐喝で巻き上げようとは、相応の代償を支払ってもらえばならんな」お父さんはそう言った。私は厄介事がこんなあっさり解決できて嬉しくてたまらなかった。お父さんかっこいい!私は喜びながらお父さんにお礼をした。すると、お父さんは突然なことを言い出した。「ついでに、その代役も始末しておくか?」え?私はその言葉の意味が理解できず、唖然となる。「それは、P90を追い払うってこと……?」「ああ。いつもその代役ばかりが目立っていると文句を言っていたじゃないか。すでに十分人気が出ているし、彼女はもう必要ないだろう。もし君がその気なら、彼女に消えてもらうこともできる」「でも……」私の感情は矛盾していた。ステージで私と観客の視線を奪い合うP90については、たしかに不満を感じていたけど、彼女とはもう長い付き合いだし……お父さんは続けた。「たかが人形だ。壊してしまっても別にどうってことないだろう」……最終的に、私は何かに操られるかのように、お父さんに頷いた。P90のことなんてもう見たくない……もうこんなのうんざりよ!あの日の午後、通信から四時間ほど経った頃、お父さんはメールの件が解決したことを知らしてくれた。犯人は、過去数ヶ月間ずっと私に関する記者を書いていた記者だった。彼のカメラからは私の写真がたくさん見つかったらしい。でも、彼はすでに厳しく教育された上で、カメラのSDカードも処分され、家の中もすべて捜索された。秘密が露呈する心配がなくなった途端、私は一息をついた。しかしなぜか、私はP90のことを思い出してしまった。私たちが始めた会ったあの日、彼女が真剣な態度で私を励ましてくれた姿。私のためにステージに上がって、様々な役を演じていた姿。……ここ数ヶ月間、毎日笑顔で私に話しかけてくる姿。そして、彼女の演出をも思い出した……認めたくはないけど、ステージに立っている彼女は本当に眩しかった。それに、彼女は私の命の恩人でもある。……どうしよう。なんか後悔してきた。私はすぐさまお父さんにメールを送って、P90を消さないようお願いする。しかしお父さんは忙しいようで、返信はなく、既読も表示されなかった。私は慌ててP90に連絡するも、いくら経っても通信が繋がらない。私は仕方なくP90にメールを送って、殺し屋が彼女を狙っているから早く逃げてと知らせた。でも返信が返ってくることはなかった。まさか、P90はもう……どうしよう?なんであの時お父さんを止めなかったの私。こうして時間が過ぎ去り、私の通信端末が鳴ったのは深夜の頃だった。P90だ!私は慌てて通信に出た。真っ黒い画面の中、P90は冷静にこちらに視線を向けている。どうやら路地裏にいるようだ。立っているのは彼女ひとりで、周りにはたくさんの人間が気絶して倒れていた……あっ、お父さんが差し向けた手下たちだ!P90、大丈夫かな?私は緊張しながら声を発した。「P90!大丈夫なの?」「リフィア」P90は頷いた。今日の彼女は演出時の身なりだった。でも、喧嘩したせいか、変装用のブロンズのロングウェーブのウィッグが少し乱れていた。彼女の無事を確認した途端、私の両目から涙が溢れ出した。「P90、ごめんなさい、私、私は――」 私が謝り終わる前に、彼女は手をあげてそのウェーブがかった髪を外した。「リフィア、もうここまでよ」P90はウィッグを地面に投げ捨てて、私のほうを見つめる。私は彼女が一瞬で別人になった錯覚がした。「ま、待って!」私は思わず声量を上げる。「P90、もしかして行っちゃうの?」「うん」P90はクールに頷いた。「八ヶ月十九日……もう俳優ごっこは飽きたの」続けて、彼女は演出用のコートを脱ぎ捨て、素の髪を整えてから金色のサングラスを取り出した。「”リフィア”の身代わりとしての生活はもうお仕舞い。次はリフィア、あなたの番よ」「で、でも――」私は言葉を失い、一瞬にしてP90が私にとって何を意味するのかを理解した。涙が勝手にこぼれ落ちてくる。私はP90を見ながら叫んだ。「あなたが行っちゃったら、私はどうすればいいの!私は、私は……あなたが必要なの!あなたがいなきゃ何もできないの!観客たちに……私のファンたちに見捨てられちゃうよ!」しかしP90は笑いながら軽く首を横にふった。「そんなことないよ」P90は真剣な目で私を見やる。「前も言ったでしょ?私はリフィアのことを見込んでいるって」「当時リフィアの代役を引き受けたのは、あなたが独特な魅力を持った頑張り屋の俳優さんだからよ」「あたしが演じたあなたが人気になれたのは、あなたが本来持っている魅力を拡大したからに過ぎない」そこでP90は言葉をやめた。そして再び私のほうへ目を向けた。その瞳は、私たちが始めて会った時のように眩しく輝いていた。「下準備は整っている。これからは、あなたの舞台よ」「勇気を振り絞って本当のスターになるか、それとも縮こまったまま新しい代役を待ち続けるか。選択するのは、あなたよ」言い終わると、彼女はサングラスをつけて手でバイバイをした後、身を翻して離れ去っていった。私はなんだかその背中姿が凄くかっこよく感じた。1月14日、新しい始まりP90が離れてから二ヶ月が経った。P90が去った後、私の人気は聞くまでもなく低下の一途をたどり……ネットでは散々笑いのネタにされた。でも最近は努力の甲斐があって、少しずつ人気を取り戻しはじめた。私は上がりつつあるデータを見ながらP90の話を思い出す。もしかしたら、私には本当に彼女が言っていた通り独特な魅力があるのかもしれない。それはともかく、P90についてだが……私は彼女のことが懐かしく、会いたいと感じているのかもしれない。あの日以来、私は彼女に会ったことがない。でも、その別れ際のかっこいい後ろ姿と、私にかけてくれた言葉は、私の脳裏に焼き付いて離れない。彼女は今どこでどんな役を演じているんだろう……もう私には関係ないことだけど。でも、ひとつだけ分かっていることがある。私の演出は、まだ始まったばかりである。
エリア2No.21、エリア2No.22……俺は立ち止まってリズからもらったメモを開いた。ここなのか?目の前には第三次戦争前の意匠のカフェらしき建物が佇んでいる。戦乱により元の機能はとっくに失っているようだ。入り口の目立たない看板にはマークが記されている。俺はそれをメモと照り合わせてみた……リズが描いたものはなんなんだ?B.R.I.E.F.が発行した集合情報と同じものなのか?辛うじて天秤のマークが識別できる。どうやらここがB.R.I.E.F.の支部で間違いないようだ。俺はメモを小さく丸めて身なりを整えてから、扉を押し開けた。扉に掛けられた鈴が小気味いい音を鳴らすと同時に、屋内の人たちが一斉に視線を向けてきた。「誰かと思いきや、シュルトじゃないか!よっ!」たくましい体つきの巨漢が両手を開けて俺を歓迎しようとするが、暑苦しいスキンシップは嫌いなので、咄嗟に躱させてもらった。 「ああ、カシウス、久しぶり」「ハハ、あいかわらずだな、紹介する、こいつはシュルト、彼とは長い付き合いだ。彼がいてくれれば、作戦は成功したも同然!」周囲を見回すと、部屋の中には俺を含めて十人近くが集まっていた。その目つきからは、全員ただ者ではないことがわかる。それも当然だ。こんな怪しい任務を引き受ける賞金ハンターなんざ、よっぽどの金欠か怖いもの知らずだって相場が決まっている。幾日前、B.R.I.E.F.はそれなりに報酬金のある任務を追加した。またもやベテラン賞金ハンター限定の任務で、任務詳細はクローヤ支部のホールで知らせるというのも恒例である。俺がついた後、準備室からスタッフが出てきて、任務に関する説明を始めた。任務内容はイエローエリアのQE934DW-H17TR7から人形を1体回収し、ついでにその人形に盗まれた物資も取り戻すこと。支給品は情報を記した紙一枚と、敵味方を識別する装置一つのみ。たったこれだけか?俺は思わず目を見開いた。こんなシンプルな任務情報は初めてだ。それには、周りの者たちも同じ意見のようだった。「はぁ?舐めてんのか?こっちは命がけで仕事してんだぞ?」「ど、どうか落ち着いてください。お渡ししたのは公開できる情報のみで、安全性のため、残りの情報は私が口頭で伝達いたします……」……たかが人形の回収だろう?大袈裟なもんだ。話を聞いているうちに、俺はこの任務がますます怪しく感じてきた。説明によると、支給された識別装置は回収対象を識別できるらしく、これを持っていれば人形に攻撃されることもないらしい。しかしながら、これまでこの任務を引き受けた賞金ハンターはもれなく失敗で終わり、報酬金は上乗せされる一方。そんな経緯で、今回は八名のベテラン賞金ハンターによる臨時パーティを結成するに至った。つまり俺らのことである。以前失敗した小隊の作戦記録を確認してみたところ、回収対象の人形に関する記録は何も残っておらず、非常に神秘的であった。俺は楕円形の識別装置を弄りながら、頭の中でこの人形の姿を構築してゆく。豊富な戦闘経験、登録済みの戦術人形、通称「泥棒」……何かまずいものでも盗んだりしたのか?面白い。少し興味が湧いてきたぞ。
小隊の隊長は、無敗の戦績も踏まえて、最古参のカシウスが務めることになった。それに関しては満場一致だった。他の者たちと話し合い――主に俺とカシウスだが――をすませて、今回の作戦計画を作成した。万が一に備え、俺たちは任務の成否を使えるかもわからない識別装置にかけるのは避けて、いつも通りに重火力武器と一ヶ月分の補給を準備した。火力と補給以外にも回収する物資があるゆえ、俺たちは追加で2台のジープを用意した。移動用を加えて合計5台、もはや一車隊の規模である。大規模な行動になると行進速度が遅くなるため、隠密行動が得意な俺とマスクは先遣部隊として事前に目的地を目指し、他の者たちは武器と補給物資とともに後をついてくることになった。丸一日間の全速行進を経て、ようやく目標地点の数キロ手前までやってきた。辺りは相変わらず砂に埋め尽くされているが、枯れ木や丘も疎らに見え始めた。「マスク、ここで車を止めて降りるぞ」「おいおい、地図を見てみろ、まだ目標座標まで2、3キロじゃあるぞ?」「俺たちは監視役だ。件の人形の活動範囲を把握していないまま突っ込んで、目標に遭遇したらどうする?」「そりゃ、会っちまったんだから、やるしかねーだろ?ったく、わーったわーった、軍師様に従うよ!」俺たちは目標地点から2キロ離れた場所に車を止め、徒歩で残りの距離を進んでQE934DW-H17TR7に到着した。そこには岩肌にぽつんと天然洞窟がひとつ開いていた。俺たちと洞窟は一定の高低差があって、視界がよく、隠蔽にも適した場所を探した。「……ッ!おい、入り口にびっしり並んでるあれはなんだ!」「よく見えない。少し待て、望遠鏡を調整する」「不気味すぎる、あれは人間の手足じゃないのか…………ッ!生骸の死体もあるぞ!……人形……化け物の間違いじゃないのか?」「怯えずに静かに待つんだ」二時間が過ぎた。しかし何かが起こる様子はない。「本当にその人形はここにいるのか?こんだけ経っても影ひとつすら見当たらないぞ」「文句言うな。待ち伏せなんてこれくらいが当たり前だろう?お前も初めてじゃないはずだ」数時間が経った。空が暗くなりはじめた。「スーッ……気温が下がってきたな。っておい、なんだあれは!」「声を抑えろ……一々騒ぐな」「お、お前は見たか、シュルト?」「何をだ?寒さで幻覚でも起きたんじゃないのか?」「おっかしいな……死体の上で何かが動いていた気がするんだが……」「脅かすのはやめてくれ……俺はそういうのは信じない主義なんだ」俺は呼吸を抑えてじっと死体のほうに目を凝らす。本当に何かいる!「おい、何かでてきたぞ!頭に二つの三角形がついていやがる……」「何かを運んでいるのか?クソ!死体を積んでいやがる!あっ、消えた!」それは移動速度が早く、瞬く間に俺たちの視界から消失した。「あの耳、まさか狐じゃないよな?待てよ……ここは汚染エリア、ていうことは変異体か!」「狐があの行動能力を持ち合わせたらブージャム級だぞ。ここで呑気に話している余裕なんてあると思うか?」「それもそうだな。回収対象の人形の可能性のほうが高いか。で、どうするんだ軍師様、追うか?」「その必要はない。俺たちの目的はあくまで監視のみだ」数分ほど経ったところで、ソレは戻ってきた。今度は滞在時間が長く、ソレがマントで身を包んだ女性型の人形であることがわかった。「へへ、俺の言った通り人形だっただろう?」人形は警戒した様子であたりを見回してから、素早く洞窟の中へ戻っていき、それからは出てこなかった。「なんてすばしっこい人形だ。マジでびっくりしたぜ。あれが目標で間違いないよな?」「わからない。それについては、カシウスと合流してから識別装置で確認する必要がある。もう気温も下がってきた、俺たちも戻ろう」「あ?夜も見張っていなくていいのか?」「今日はこれくらいで十分だ」キャンプ地点に戻ってから、俺はこの一日で集まった情報をまとめてみた。小柄な体型に並外れた機動力、頭についた耳らしきもの、怪しい挙動。今のところは無害そうに見えるが、まだ警戒は怠れない。まだこちらに向かっているカシウスに情報を送った後、俺は明日の夜の準備をしてから眠りについた。
その日、俺たちはいつものように入り口付近に潜伏していた。「軍師様よ、あんな貧弱そうな人形、いっそ俺たちだけでやっちまわないか?」「本当に何もわかっていないな。あれだけの小隊がしくじったんだ、きっと何か俺たちがまだ知らない情報があるはずだ。少なくとも……俺たちはまだ彼女の実力を確認できていない……」「三時方向に異常あり!何者かが接近中」「詳しく頼む」「人数は約五人。何者なんだ?まさかB.R.I.E.F.は俺たち以外にも人を雇ったのか?」「その可能性は低い。装備のほうは?」「粗造りの防護服と旧型の銃器だ。正規武装勢力ではなさそうだ」「ああいうのも賞金ハンターなのか?あ、いや、貧相だと言っているわけではなくて」「同業者じゃなくても、仕事を横取りされる可能性はあるしな。なんなら、アイツらからやっちまうか?」俺は首を横に振った。「奴らの武器は古すぎる。護身や弱い生骸相手ならともなく、戦術人形と戦うには不十分だ。まずは静観しよう」俺はマスクに目で合図を送って、少々後ろにある高所まで撤退すると同時に、洞窟の入り口近くの草むらに盗聴器を設置した。その小隊は全員で洞窟の中に押し掛け、それから銃声と悲鳴が鳴り響き、間をおいてから、辺りに再び静寂が戻った。盗聴器の向こうから甲高い声が響き、入り口からひとりの男がよろめきながら姿を現した。「運がいいやつだな」マスクは口笛を鳴らしながら野次馬を続ける。その男は化け物を見たかのような恐怖に満ちた顔をしていた。光の下に出る直前、彼は路上の石につまずいて勢いよく転び、大きく一回転した。「あー!殺さないでくれ!俺も金で雇われただけなんだ!」「く、くるな!……殺すな!お願いだ!頼む……あっ……」「悪者、排除」幼い女の子を思わせる小さくて拙い声が伝わってきた。人形の背丈とは釣り合わない大きさの銃器が男の後頭部にあてられる。バンバン!銃声に伴って辺りは再び静寂に包まれる。盗聴器からは何かの中身を漁る音と、電波妨害の音しか聞こえない。「もうこれ以上人は送らないで!テラお姉さんが帰ってくるまで、アレは誰にも渡さない!」人形は口調を一変させ、死体がつけた通信機に向かって意味不明の言葉を放った後、通信機を握りつぶしてから洞窟へ戻っていった。「……あ、ありゃやべぇぞ。鳥肌まで立ってきた。ゴホン……まあ、考えもなしに突っ込めば、ああなるのも当然だよな」「……どの口が言う」「え、えーと、その、先ほど彼女が言ってたのを覚えているか?たしか、テ……ラ……テラって誰だ?」「わからない。それよりマスク、銃器専門家のお前に聞くが、彼女の武器について心当たりはあるか?」「無理言うな、こんな離れた場所から視認できるはずがないだろ?でもまあ、輪郭から判断すると……旧式のライフルの可能性が高い。言っとくけど、確信はないからな、一瞬しか見えなかったし」「十分だ」「!!!見たか、シュルト?後ろに振り向くときに耳が動いたぞ!まさか見つかっていたりしないよな?」「こんなに離れているんだ。それはあり得ない」「はぁ……ジーザス。俺の気の所為だと良いんだが」ここ数日の監視、特に今日の戦闘から、俺たちは件の人形について多くの情報を得られた。以前の認識には少しズレがある。早く最新の情報をカシウスに伝えねば。
監視を続けた結果、俺は件の人形の行動パターンには一定の規則性があることに気付いた。彼女は毎日午後六時に西の高所の木の上に登って座っている。何を眺めているのかはわからない。最初はテンションが高いが、十分から二十分ほどすると耳が垂れて失望している様子が伺えた。その後は洞窟の中に戻り、次の日まで出てこなくなる。それ以外の活動は見られなかった。彼女が留守の時間を利用して作戦計画を立ててみるか……その日、俺は人形がいつもの時間に離れたのを確認して、こっそりと洞窟に潜入した。洞窟は一目で深さを測れる大きさで、入り口の一本道から内部の二重空間に続く構造だった。内部には待ち伏せに適した空間が幾つかあるが、出入り口がひとつしかない。もう少し奥に進むと、何かが積み上げられて防水シートに覆われていた。時間が限られているため、俺はその中身を確認できずに撤退した。一日後、俺たちはカシウスたちと合流を果たした。「送った情報は確認済みだな?識別装置を持っていれば件の人形に味方に認識されるようだが、彼女はメンタルが不安定だ。加えて度重なる襲撃で人間に対する警戒心が強くなっている。下手な行動に出れば、彼女に襲われない保証はない」「コホン……シュルト……」「カシウス、説明の途中に口を挟むな。作戦についてだが、戦わずに穏便に目標対象を回収できるなら、そうする。しかし、万が一に備えて、予備プランも策定しておいた。例の人形は毎日同じ時間に洞窟を離れる。その隙に……」「シュルト……」「どうした、カシウス?俺の計画に何か問題でもあるのか?」「問題はないが、その……少し調整が必要かもしれん」「調整?今更何を言っているんだ?」「シュルト、実は……ここに来る途中にコーラップスストームに遭遇したんだ。しかも生骸の群れとも一戦を交えた。もちろん、そんなもんに手こずる俺たちではない。しかし……」「なんだ?」「その、補給箱が壊されちまったんだ。不運にも、識別装置もその中に入れてあった。だから……」「なんだと?なぜあんな重要なものを補給品と一緒に保管していた!?しかも壊されただと!?」「いやいや、少し故障しただけですよ~やっぱり私が口下手な隊長の代わりに説明します」「ハサウェイ……」「試してみたんですけど、まだ信号は発信できますけど、応答システムのほうがちょっと問題があって、少し反応が遅いというか。だから、それを弁えて行動したほうがいいと思います」「状況は把握した。それだけか?」「……それと、別に大したことではないんですけど、今回の雇い主は心配性のようで、人形を回収する際に必ず識別コードをアップロードしろと。でもアップロード用のインターフェースはもう完全に壊れちゃったので。でも、帰還した後に直して、任務終了までに識別コードを送っておけばいい話です~」「……他には?」「以上です!要するに人形と物資を回収すればいいんですよ。私たちの実力があれば、壊してから持ち帰ることもできます!」俺はやれやれと首を横に振った。俺が送った情報などまるで頭に入っていない。しかし彼らがそこまで言うのだ。否が応でもやるしかない。俺は作戦計画を変更し、他の面々とここ数日で得た情報を再度整理した。テラという名については、ハサウェイとミアが聞いたことがあるらしい。「テラは少し変わった闇ブローカーです。彼女はイエローエリアの他の闇ブローカーと違って、いつも割に合わない商売をしているので、イエローエリアでは評判は悪くないんですけど……まあ、俗に言うお人好しってやつですよ」「もう何年も会っていないけど、よく獣耳人形と一緒に行動しているって話は聞いたことがあるわ。とんでもない人物の逆鱗に触れたって噂も流れている……」「え?知っちゃいけないことを知っちゃったって話じゃ?それにしても、なんで余計なことに首を突っ込むんでしょうね?」「ともなく、何かの面倒事に巻き込まれて、ロ連のお偉いさんに目をつけられている可能性が高いわ。話によると、取引でパートナーに裏切られて以来、消息が途絶えている。それ以上のことはわからないわ」余計なものに手を出した挙げ句、両者に追われる状況に陥った。そう考えると、辻褄が合っているな。この任務の依頼人は、テラを誘き出そうとしているのか?それか、表には出せない理由で、賞金ハンターの手を借りるほかに方法がないとか?なら、あの全滅した武装小隊は?まさか彼女を裏切った元パートナー?俺の直感がこの任務の危険さを訴えているような気がした。しかし、結局金への欲望には勝てなかった。この任務は俺が思っている以上に複雑なのかも知れない。
任務執行当日、俺たちは人形が留守している間に洞窟に潜り込んだ。五人が中に潜伏し、残り三人は外で支援にあたる。合図は銃声だ。洞窟に入った後、ハサウェイとミアは指定地点に潜伏し、俺とカシウスは洞窟の奥部へ向かった。防水シートをめくると、そこには物資箱が整然と並んでいた。つけられた印から医療物資であると判断できる。ロ連のマークもついていた。「なんだ、ただの医療物資かよ」カシウスは一瞬で興味を失ってしまったようだ。「金になるなら中身などどうでもいい」「ハハ、それもそうだな。これらは数分後には全部俺らのもんだ」俺とカシウスは物資箱の後ろに身を隠し、カシウスは識別装置を起動して信号を送りはじめた。マスクは重機関銃を設置して、人形が洞窟に戻るのを待つ。……二十分が過ぎた。しかし入り口には何の気配もない。「シュルト、まだ戻ってこないぞ」「いつも通りなら、とっくに戻ってきてもおかしくないんだが。蝶々とでも遊んでるのかもしれないな」「……」時間が長引くにつれ、俺たちは精神が削がれていくのを感じた。突然、朦朧と水が滴って石にぶつかる音が洞窟内の空間に響いた。その音は段々と近づいてくる。「なんだこの水音は?」「俺にもわからない」「あの人形はいつになったら……ん!?おい、出入り口はひとつじゃなかったのか?あそこに川があるぞ!」シュルトは慌てふためいた様子で俺に叫ぶ。馬鹿な……なぜ川が?前回は川などなかったはず……そうか、出入り口はひとつだけではなかったのか……俺は何の気配もしない入り口を見つめる。頭の中は恐怖と嫌な予感でいっぱいだった。あの人形は今、どこにいる?彼女は……戻ってきたのか?周囲は恐ろしいほど静かだった。カシウスの額に冷や汗が浮かぶ。「侵入者、排除」少女の無機質な声が、だだっ広い洞窟の空間に響いた。死神の宣告である。「どうなっている?あの人形は何を言っているんだ……侵入者?」「それをよこせ、カシウス。発信システムは正常だ、信号は発信されている。しかし応答がない……まさか……」「どういうことだ?」「あの人形には俺たちの信号が届いていない?それとも彼女の応答システムが故障しているのか?」「このガラクタが!どうみても敵と認識されているだろう!クソ、撤退だ!撤……ぐは!」カシウスは叫びながら入り口のほうへ疾走するが、もう手遅れである。何の予兆もなく、彼はどこから撃たれたかもわからない銃弾に目にも見えない速度で頭を貫かれ、勢いよく地面に倒れ込んだ。「カシウス!」「防御態勢だ!」誰かの号令に伴い、俺たちは円陣を組んだ。外の人間に状況を知らせる前に、彼らは先に駆け込んできた。まずい!それからは一方的な殺戮だった。洞窟の中に押し寄せた者は格好の的となり、入った順番に射殺されていく。動きが早すぎる。視界に見え隠れる赤い閃光以外は何も見えない。彼女はこの洞窟内の地形を知り尽くしているようだった。もはや俺たちに勝算などない。「隊長が殺されたのに何ビビってんの!ほら、仇を討つわよ!」「何してんだ、ハサウェイ!早く伏せろ!」ハサウェイは興奮して立ち上がって、掃射をはじめた。弾丸が岩壁を跳ね返り、石塊や砂が落下して視界がさらに悪くなる。しかし、俺たちの相手はまったく影響を受けていないようで、ハサウェイと彼女を阻止しに飛び出したミアが二人揃って弾を食らってしまった。俺は銃の向けどころに迷っていた。周りの者はひとりまた一人と倒れていき、後方で重機関銃を操作しているマスクも流れ弾に当たってしまった。俺は絶望の余り地面に崩れ落ちる。クソ、もしあの時に川を見つけていたら、人形に先手を取られずにすんだのに……もし相手の識別システムが壊れた可能性を考慮に入れていたら……もし、もし欲望に呑み込まれていなかったら……いや待て、識別!まだ利用できる情報があるかもしれない!「テラ!俺たちはテラに言われてここに来たんだ!」案の定、人形は動きを止めた。「テラお姉さんのことを……知っているの?」人形は影から姿を現した。その声は彼女の行動と反して無邪気だった。顔はマントに隠れているが、体型は判断できる。それは腕に金属アーマーを巻き付けた小柄の少女で、背中には俺たち全員を屠り尽くした旧式のライフルを背負っていた。「……そうだ!俺たちは彼女の命令でここに来たんだ」「テラお姉さん……なんで自分でこないの。すぐに戻っるって言ったのに……」「か、彼女は今はこれない。だから、俺たちに君を迎えにくるよう言ったんだ」俺は時間稼ぎをしながら、すり足で重機関銃のほうへ移動する。「私を……迎えに?」「ああ、君はよくここを守ってくれた。帰ったらきっとお金をいっぱいくれるだろう」「お金……!テラお姉さんがそんなことを言うはずがない!」まずい、バレた。「どうせまたこれらを狙ってる悪い人なんでしょ!テラお姉さんは言ってた、彼女が自らこない限り、誰にも渡しちゃだめだって!」騙されたことに気付いた人形は血相を変えて銃を乱射する。しかし興奮しているせいか、それともメンタルが損傷しているせいか、射撃精度が明らに落ちている。「テラが戻ってくることはない。彼女は手を出しちゃいけないものに手を出したんだ」「そ、そんなことない!もし戻ってこれなきゃ……任務は……任務は失敗しちゃう……」「彼女は死んだ。もう永遠に戻らない」「嘘だ、嘘だ、嘘だ!私に優しく接してくれたご主人は……もうなくなった……なら任務は……失敗させるわけにはいかない……そうだ!任務は失敗しちゃいけないんだ!嘘だ……お前が言っていることは全部嘘だ!」俺は機会を見計らって重機関銃のほうへ回避し、銃把を掴んだ。「死にやがれ!」俺は反動による体が裂けるような痛みをこらえながら、人形の上方にある岩壁を掃射した。岩壁から石塊が転がり落ち、人形へと襲いかかる。俺は弾が切れるまで射撃をやめなかった。「ふぅ……」俺は地面に座り込んだ。死と隣り合わせた恐怖で、俺の両手は猛烈に震えていた。そうだ、人形を回収するんだったな……彼女を手に入れれば、残りの人生は金の心配なく暮らせる。万が一に備えて、俺は横に落ちていたハンドガンを拾いあげ、構えた。「馬鹿な……これはあの人形じゃない!」石に埋もれていたのは、ぺちゃんこの素体だった。「あの獣耳人形はどこにいった!?」死から逃れた事実についていけず、俺の頭の中は真っ白のままだった。右手側で赤い閃光が横切るのを視界の端で捉えた瞬間、俺は無意識に銃を構え、後ろに振り向きながら弾を込める……しかし彼女の速度は俺を上回っていた……赤と青のオッドアイを持つ狐耳の少女は銃を構え、無表情で引き金を引いた。……「お姉さんは絶対に戻ってくる」バンーー
アンデ、私たちは後どれくらい歩けば救護施設にたどり着けるの?そこについたら、グリーンエリアに向かう申請を提出できる……でも提出したところで、申請は下りるのかな?……ああ、きっと下りるさ。ニア、もう少し頑張ってくれ。あと二日ほどで救護施設に到達する。ええ、信じる……アンデ、私、眠いわ……寝ちゃダメだ、ニア!新しい物語を聞きたがっていただろう?まだ言っていないお話がたくさんある!しっかりするんだ、まずは薬を飲もう。 新しい物語、物語……うっ……アンデ、聞きたい……いい子だ。さあ、毛布をかけて。物語の始まりだ。昔々、ワーザーという名の男の子がいた。皆が家に隠れている中、ワーザーは外に出て家族を救える妖精を探すことにした。ワーザーと彼の家族たちはクレアという一風変わった惑星に住んでいた。クレア星は四年に一度形態が変化し、星全体が内部からひっくり返るように変わってしまう。それに伴い、星上の地点の位置も変わるんだ、まるでルービックキューブのようにね。その形態変化の賜物で、クレア星は光り輝いた姿を保ち続けることができていた。もし形態変化が停止すれば、星の大気は漂っている黒いマグマに覆われてしまい、太陽の光が地表に届かなくなる。さすれば、地上の温度が低下し、やがて世界は氷付けになってしまう。星の形態変化を起こせるのは、啓明仙女だけである。現在、クレア星はすでに七年も形態変化が起こっていない。ワーザーの家族は全員寒さで病を患い、ワーザーは思わず涙を流した。その涙は地面に落ちる前に固まって透明な氷の粒となった。ワーザーのお母さんは、悲しそうな息子を軽く抱きしめた。お母さんの温もりを感じながら、ワーザーはどうすれば太陽が出てくるのかと聞いた。陽光が戻れば、みんな昔のように暮らることができる。お母さんはワーザーのほっぺを軽くつまみながら、ずっと身につけているロケットペンダントを外した。「ワーザー、これはお母さんからの最後のプレゼントよ。これをつけていれば、あなたを守ってくれるわ。光あるところに、必ず希望がある」お母さんはロケットペンダントをワーザーの首につけてあげた。「お母さんは少し疲れたから、少し目を瞑って休むわ……」「お母さん、いつになったら起きるの?」ワーザーは聞いた。「太陽が再び大地を照らすとき、お母さんは起きるわ」お母さんは微笑みながら瞼を下ろし、ワーザーを抱きしめていた両手からも力が抜けていく。光あるところに、希望はある。ワーザーはその言葉を心に刻んで、名残惜しげにお母さんの頬を撫でる。彼はお母さんが言っていた場所に行かないといけないと分かっていた。落ち込んでいる時間などない……
ワーザーは勇気を振り絞って、お母さんのもとを離れた。お母さんに迷惑を掛けないよう、彼は泣き叫びたい衝動を必死にこらえて、ベッドの傍ですすり泣きながら、ゆっくりとお母さんがくれたロケットペンダントを開ける。ケースを開けた瞬間、眩しい光が迸って部屋全体を照らした。しばらくして目を開けてみると、全身から光を放つドレス姿の女の子が興味深げに彼を見つめていた。「あなたは……お母さんの子供!あなたのことはペンダントの中にいた時から知っているわ!私はシャーロット、あれは……お母さん!?どうしたの!?」シャーロットは寝ているお母さんを見た途端に様相を変え、ワーザーが泣き声で経緯を詳しく話すと、やっと落ち着いてくれた。「わかった、私も仙女を探すのを手伝ってあげる!お母さんは絶対に目を覚ますわ!ついてきて」シャーロットはワーザーに有無を言わさず、彼の手を掴んで扉のほうへ走り出した。ワーザーが扉を開けると、強烈な風が吹き込んできた。しかしシャーロットがワーザーの前に出た途端、風は消失した。太陽が届かないせいで外は暗闇の世界になっており、光を発しているシャーロットの周りだけがはっきりとしていた。さきほど吹き込んできた風は消失したのではなく、シャーロットの長いドレスに吸収されていた。シャーロットはワーザーの目を見つめる。「これで風も怖くないわ」「シャーロットがいれば、真っ黒い世界もはっきりと見えるよ!」そういいながら、ワーザーはシャーロットにハグをした。シャーロットは大きく頷いた。「光はすべて留めることができるわ!」そのとき、近くから大地が揺れる音が響いた。振り向いてみると、そこでは星のような光が群れを成して北へゆっくりと進んでいた。「みて!あそこに光がある!」シャーロットはワーザーの手を取って走り出した。彼らはどんどん速度が早くなっていき、シャーロットのドレスが纏う風も段々強くなって、二人はとうとう地表から離れて、たくさんの光が輝く場所へと飛んでいった。「光があるところには、希望がある。お母さんがそう言ってた……」ワーザーはシャーロットの手をギュッと握りしめ、二人は光芒の中にスッと着地した。驚いた光たちはワーザーとシャーロットを中心に回転しはじめ、徐々にシャーロットのドレスに吸収されて、シャーロットが照らせる範囲がさらに大きくなった。そのとき、付近から気だるそうな声が聞こえた。「私の家に何しに来たの?」それから何が起こったの?アンデ?それからは……そろそろ休もう、ニア。明日の道のりも長い。続きは明日の夜に話そう。うん……約束だよ、アンデ!
アンデ、今日は危なかったね。コーラップスストームから逃れて休む場所を見つけられて本当によかった。明日はもっと慎重に道を選ばないと。あと一日で救護施設にたどり着ける。申請を出して、僕たちの病気も治してもらおう。やった……アンデ!今日は物語の続きを教えてくれるって約束したでしょ……そうだったな。あの後……気だるそうな声が聞こえて、ワーザーは無意識にシャーロットを背中に庇った。シャーロットはワーザーの腰を突っついて落ち着かせた。そして、二人は声のする方向へたどっていく。近づいたところで、シャーロットの光が声の主の姿を照らし出した。それはとてもとても高い人間だった。シャーロットとワーザーの身長は彼の膝ほどしかなく、ドレスの光も綺麗な紋様が施されたズボンの裾と地面まで伸びたマントにしか届かなかった。「ん――?」大きな人は鼻で長い音を鳴らしながら一歩後退すると、大きくて美しい顔がワーザーとシャーロットの前に現れた。「しかも、私の光も盗むとは」「ぼ、僕たちは啓明仙女を探してるんです。啓明仙女が星を回転させて空中の黒いマグマを消せれば、太陽が差し込んで世界中を照らすことができます!もし啓明仙女の居場所を知っているなら、教えてくれませんか?」ワーザーはシャーロットの手をギュッと握りしめ、勇気を振り絞って答えた。「世界中を照らす?そしたら光は重要ではなくなる。光は、重要でなくてはならない」大きな人は頭をあげて踵を返す。シャーロットは慌ててワーザーの手を引っ張りながらその後を追う。「あの、啓明仙女の居場所はご存知ですか――?」ワーザーは声を振り絞って叫ぶ。すると巨人はゆっくりと足を止めた。「私の顔に近づきなさい」ワーザーとシャーロットは言われるがまま、長いドレスに乗って巨人の顔に近づいた。「私はたくさんの光を持っているが、このようなドレスは見たことがない」彼は言いながらマントを一振した。すると無数の光たちがマントの下から溢れ出して、辺りを昼のように照らした。ワーザーとシャーロットはようやく自分たちが山のように大きな巨人の肩に乗っていることに気づく。巨人はほとんど暗闇の雪山に溶け込んでいた。光たちは巨人の周りに集まってコソコソ話をしはじめた。それは久しく聞いてない子どもたちの愉快な笑い声だった。楽しそうな光たちを見て、ワーザーは巨人が光たちにどのような希望をもたらしかのか不思議に思えてきた。自分が探している希望も、ここにあるのだろうか?そう考えながら、彼は息をこらして巨人の次の言葉に意識を集中させる。美しい巨人は彼らに向かって微笑んだ――
巨人の声は山々に共鳴するように、その一字一句がワーザーの耳に運ばれていく。「そのドレスを渡してくれたら、啓明仙女がいる場所を教えてあげよう」シャーロットはワーザーの後ろに隠れた。体から発せられる光も弱くなっていく。「シャーロット……お母さんを救わないと……」ワーザーはシャーロットの手を握った。しばらくして、シャーロットはワーザーの後ろから前に出た。そしてドレスに乗って軽やかな歌を歌いはじめると、長いドレスはたくさんの光束となって落ちていき、巨人の元へ飛んでいった。ワーザーは落下するシャーロットを慌てて受け止めた。「私は大丈夫……」シャーロットは淡々と言いながら、巨人のほうへ振り向いた。「啓明仙女がいる場所を教えてください……」「可哀想な子たちだ。君たちが探している啓明仙女は、南の遠くにいる。ずっと南へ進めば、光だらけの危険地帯にたどり着ける……」巨人が手を挙げると、マントから羽が飛び出して二つのちいさなマントが出来上がり、ワーザーとシャーロットの目の前に飛んできた。「険しい道のりになるだろう。私からの些細な気持ちを受け取ってくれ」言うな否や、二つのマントがワーザーとシャーロットの体を包みこんだ。「我が友よ、体を少し低くして、子供たちを行かせてやってくれ」大きな人がささやくと、足元の巨人がゆったりと地面に伏せて、長い腕で南の方向を指した。光たちは再び大きな人のマントの中に戻り、風を吸収したドレスは指輪に変化して、大きな人の人差し指に収まった。ワーザーは弱まったシャーロットを支えながら、南へと進んでいった。今日の物語はここまでだ。ニア、もう遅い。そろそろ寝よう。アンデ、でも私……早く寝なさい。残りの道を進むためにも、力を保存しないと。
アンデ、お姉さんたちは今申請書を整理しているから、申請なら明日にしてって……私たち、本当にグリーンエリアに行けるかな?もちろんだ、ニア、君はいい子だから、きっとグリーンエリアに行けるよ。アンデもいい子だよ!はは……じゃあ、いい子に昨日の話の続きを話してあげようか?うん!トレーンを失ったシャーロットは衰弱し、体に纏っている光まで暗くなった。巨人のマントは強い風を防いでくれたけど、進むべき道を照らしてはくれなかった。ワーザーはシャーロットを支えながら、巨人の腕をたどって地面に降りた。巨人は立ち上がった。巨人の姿は見えなかったけど、ワーザーとシャーロットは辺りに大きく響き渡る音が聞こえた。「ワーザー、疲れた……もう歩けないよ……」シャーロットはワーザーの手を握って、小さな声で言った。ワーザーはしゃがんでシャーロットに言った。「もうちょっと頑張って、僕がおんぶしてあげるから。」シャーロットはワーザーの背中にしがみついた。ワーザーはシャーロットが滑り落ちないように、シャーロットの足を抱えた。「シャーロット、前の道が見える?真っ暗で、何も見えないんだ。」「見えるよ!巨人が示した方向に光があるの!すぐそこだよ。そこへ行けば、きっと啓明仙女さまを見つけられる……」ワーザーはシャーロットをおぶって前に進んだ。「シャーロット、これからは僕の目になって。僕たちは必ずあの光に満ちた場所に行ける。」シャーロットはワーザーの背中で軽くうなずいた。こうして、ワーザーはシャーロットをおんぶしたまま光がある方向に向かって歩き続けた。出会ってまだほんのわずかな時間しか経っていないのに、ワーザーはもうシャーロットのことを深く信頼しているようだ。真っ暗な世界で、シャーロットがワーザーの目となり、ワーザーがシャーロットの足となって、互いに助け合いながら、共に光へと進んでいった。しかし、真っ暗な夜で、二人を頼っている存在もいたことにワーザーは気づかなかった……
二人を頼っていたのは、光を放つ小人たちだった。小人たちは自分たちの姿を隠しながら、二人の後ろをついてきていた。ワーザーが疲れて、シャーロットと抱き合って休休んでいる間、小人たちは二人のマントに潜り込んで暖を取った。二人はたくさん歩いて、再び寄り添って休むことにしたけど、ワーザーが目を覚ますとシャーロットの姿が見当たらなかった。小人たちはシャーロットのマントを抱えて、聞いたことのない言葉で何か話していた。ワーザーはマントを手に取って、お母さんからもらったロケットペンダントを開けると、休んでいるシャーロットを見つけた。「シャーロットも疲れたみたいだね。」ワーザーは慎重にロケットペンダントを閉じた。ワーザーの周りの世界は再び真っ暗になって、小人たちだけが光を放っていた。「あの!光に満ちた場所がどこにあるか知ってる?」ワーザーが大きな声で尋ねると、光る小人たちは矢印の形に並んで、ワーザーの進む道を照らしてくれた。ワーザーはシャーロットのマントを羽織り、光る小人たちの指示に従ってたくさんたくさん歩いて、やっとその光に満ちた洞窟にたどり着いた。今日のお話はここまで……ニア、もう寝る時間だ。もう少しでグリーンエリアに行けるから、そこに着いたら何をすべきかちゃんと考えないと。すー……すー……ん?もう寝ちゃったのか?おやすみ……
どうしよう、どうしようアンデ!救護所のお姉さんが申請用紙がもう全部なくなったって言ってたよ。私たち、一体どうすればいいの?!落ち着いて、ニア!きっと何か方法があるはずだ!方法……?どんな方法?アンデ、グリーンエリアに行けなかったら、家にも戻れないよ!家はもう……コーラップスストームで壊れちゃったんだから!ニア、ニア!落ち着いて、僕の話を聞いて!アンデ……わ、私…………なんとかする、約束するよ。絶対に方法見つけるから!僕を信じて、信じてほしい!わ、私……アンデを信じるよ…………いい子だ…………昨日の話を覚えてる?昨、昨日の話……?昔、クレア星にワーザーという名前の男の子がいた。男の子が住む星では、暗闇が空を覆っていた。そのせいで、太陽の光が大地に届くことができなくて、星全体が凍りついて、とてもとても寒い星になってしまった。ワーザーの家族たちはあまりの寒さに病気になって、一人、また一人と眠りについてしまった。家族たちの病気を治すため、ワーザーは暗闇を消して、世界を再び光で満たす力を持っている啓明仙女を探しに行こうと決意した。出発する前に、ワーザーのお母さんはワーザーにロケットペンダントをくれた。ワーザーがそのロケットペンダントを開けると、中から光を纏った白いドレスの少女が飛び出してきた。少女の名前はシャーロット。彼女のドレスのトレーンはワーザーが今まで見たどんな女の子のドレスよりも長かった。ワーザーはシャーロットのトレーンに乗って、ジャイアントの体に住む巨人のところへ行った。巨人は彼らに啓明仙女がいる方向を教えてくれたけど、シャーロットはトレーンを失って、小さくなってロケットペンダントの中で休むことになった。ワーザーはシャーロットを連れて、巨人が示した方向に向かった。光る小人たちに導かれて、彼らは光に満ちた洞窟にたどり着いたけど、そこに啓明仙女はいなかった。アンデ、私間違えてないよね?ううん、全然……ニアは記憶力がいいんだね。続きはね……ワーザーは洞窟の奥に進んでいくと、そこには至る所にキラキラと輝くクリスタルがあった。クリスタルの光が洞窟の中で反射して、ワーザーよりも高い、花瓶のような形をした巨大な植物を映し出していた。それぞれの植物の頂点には美しい葉っぱがあって、葉っぱの下には瓶があった。その瓶は半透明で、中には淡い黄色の液体がいっぱい入っていた。植物全体から甘い香りが漂っている。植物の大きな瓶状の体には、輝く細かい銀色の模様が散りばめられていた。一番大きな植物はワーザーの5、6倍も高くて、体の模様は明るい金色だった。ワーザーが見上げると、植物の頂上の葉っぱの上には、大きな金色のカブトムシが眠っていた。その金色の上羽は洞窟のクリスタルに照らされて、さらに眩しく見えた。「大きい……」ワーザーは思わず見入ってしまった。小人たちは、この植物たちを見ると歓声を上げた。「銀瓶草だ!銀瓶草がたくさん!それに蜜露の香りがする!」小人たちは嬉しそうに手を取り合って輪を作り、そして四方に散った。小人たちはそれぞれ銀瓶草を選んで、瓶の口から飛び降りて、その中の「蜜露」という淡い黄色の液体をたっぷり飲んだ。しかし、彼らはみんな金色の光を放つ一番大きな植物は避けていた。ワーザーは我に返って、周りの銀瓶草に向かって叫んだ。「ここ、ここは啓明仙女さまがいる場所じゃないの?どうしてみんな……」ほとんどの小人は蜜露に夢中になっているけど、2、3人は瓶の口から顔を出して、焦っているワーザーを覗いた。「仙女さまの居場所なら、金羽が知ってるよ!」「金羽は仙女さまを見かけたんだ!」そう言うと、小人たちはまた蜜露を飲みに戻った。「金羽って誰?あの眠っている金色のカブトムシのことか?」ワーザーは急いで質問したけど、返事をしてくれる小人はいなかった。 焦って小人たちがいた銀瓶草の隣まで駆け寄り、半透明の外壁を叩いた。でも瓶はびくともせず、中にいる小人も蜜露に夢中で、外のワーザーに気づいていない。「ど、どうしよう……?」ワーザーは頭を掻いて洞窟にある銀瓶草を見渡し、最後は一番大きく、金色の光を放っている植物を見つめた。植物の頂上の葉っぱの上で、大きな金色のカブトムシがまだ眠っている。「金羽があのカブトムシのことなら……直接聞けば答えてくれるかもしれない……!」ワーザーはその植物の傍に駆け寄った。その時、ワーザーの胸の前からか細い声がした。 「お腹すいた……お腹すいたよ……」シャーロットの声だった。ワーザーは慌ててロケットペンダントを開けた。小さなシャーロットは赤いベルベットのクッションに座っていて、自分の唇を指で指している。「お腹すいた……お腹すいたの……」シャーロットはそう言って、すすり泣いた。「ど、どうしよう……食べ物、食べ物はどこにある?」ワーザーは洞窟の中を駆け回って食べ物を探した。そして、銀瓶草に近づいた途端、シャーロットは泣き止んだのだ。「お腹がすいた……甘いもの!ワーザー、甘いものが食べたい!」「あ……?甘いもの……?蜜露のことかな?で、でも……」蜜露がどんなものか分からないから、ワーザーはシャーロットに食べさせるのを躊躇った。ワーザーは銀瓶草の隣に駆け寄って、半透明の瓶の外壁から中を覗いてみた。小人たちはみんなお腹いっぱいで銀瓶草の底に寝そべっている。「だから誰も僕の質問に答えなかったのか……」 本当にシャーロットにこれを食べさせていいのかな?シャーロットがお腹を壊したらどうしよう。迷っているワーザーを見て、シャーロットは大きな声で泣いた。「ワーザー、ワーザー……!」シャーロットに名前を呼ばれて、ワーザーは焦って唇を軽く噛んだ。少し悩んだ後、ワーザーは決心が付いた。「シャーロット、僕が必ずお腹いっぱい食べさせてあげるよ!」
決心したものの、ワーザーはどうすればいいのか分からなくて、頭を抱えている。「みんなが銀瓶草の蜜露を全部飲んじゃったみたいだ。どうしよう……あっ!そうだ、一番大きな瓶の中にまだ蜜露があるかもしれない。シャーロット、今すぐ連れていくよ!お腹いっぱい食べたら、また啓明仙女さまを探しに行こう!」ワーザーは急いで金色の光る植物のところに駆け寄って、手足を使って瓶の縁までよじ登って、眠っている金色のカブトムシを避けながら、慎重にシャーロットを瓶の口に入れた。シャーロットは瓶の内壁に触れると、すぐに蜜露の中に滑り込んだ。シャーロットは蜜露の中を泳ぎ回って、ごくごくと蜜露を飲み始めた。そしてお腹がパンパンになるまで飲むと、瓶の底に横たわった。でも、蜜露が飲み尽くされたと同時に、植物の光は薄れていき、元気をなくしていった。他の銀瓶草も同じようだった。シャーロットは垂れ下がった瓶から滑り落ち、地面に投げ捨てられて泣き出してしまった。銀瓶草の頂点の葉っぱも垂れ下がる瓶と共に傾いて、上で眠っていた金色のカブトムシが驚いて金色の翼を広げ、ゆっくりと飛び降りてきた。カブトムシが地面に降りると、彼はようやくそれが金色のカブトムシの上羽を翼にしている光る小人だったことに気づいた。「誰だ――?!」光る小人は怒っているようだ。銀瓶草の中にいる他の小人たちもシャーロットと同じように瓶から滑り落ちて、お尻を揉みながら光る小人のそばに駆け寄った。「悪い人、悪い人だ!」「蜜露を飲んだ、悪い人だ!」「金瓶草が枯れた、悪い人だ!」「わ、悪い人……?ち、違う!そんなつもりじゃなかったんだ。ご、ごめんなさい!」ワーザーは急いで謝った。「蜜露を飲んだ……悪い人……?でもみんなも飲んでたのに……」シャーロットは小さな声で言った。ワーザーはシャーロットのそばに駆け寄って、シャーロットを抱き上げようとした。その時、小人たちがワーザーの前に飛び出した。「これはまずいかも……」ワーザーは小さな声で言った。光る小人は周りを見回して、「縛れ――!」と、怖い顔で他の小人たちを命令した。「悪い人、縛る!」「縛る、 藤の蔓で!」すると他の小人たちは地面からたくさんの藤の蔓を引き抜いて、ワーザーとシャーロットを縛り上げた。「悪い人、縛った!」「縛ったよ、金羽!」光る小人は金色の上羽を軽く振って、背すじをピンと伸ばしてワーザーとシャーロットの前へ歩み寄り、じっと二人を見つめた。「生かせ――!」「生かせ……?何を生かすの……?」ワーザーは尋ねた。そして他の小人たちが口々に答えた。「金瓶草を、生かせ!」「元気がない、金瓶草!」「あの一番大きな植物が金瓶草か……ご、ごめんなさい。金瓶草を枯らしてしまって……でも、どうした金瓶草を生かせるの?」ワーザーは尋ねた。「金瓶草を生かせたら、ここを出られる?僕たちは啓明仙女さまを探さしてるんだ。ここで足を止めるわけにはいかない!」「彼は――?」ワーザーの話を聴いて、金羽は指でワーザーを指して、周りの小人たちに尋ねた。「彼は仙女さまを探している!」「仙女さまの居場所が知りたい!」小人たちが口々に答えた。ワーザーは慌てて口を挟んだ。「仙女さまの居場所を知ってるなら、お願いです。教えてください!仙女さまを見つけたら、この世界もきっと光を取り戻すはずです!」金羽は信念と期待に満ちた表情のワーザーを見て、長い間考え込んだ。やがてゆっくりと頷いて、後ろにある地下水を指で指した。「氷――!」すぐに小人たちが説明してくれた。「地下水の氷!」「不思議な氷!」「光る氷!」「全てを凍る氷!」「金瓶草を救える氷!」ワーザーは振り向いて、真っ暗な地下水を見て小さな声で聞き返した。「僕が地下水でその氷を見つけて、金瓶草を生かせたら、仙女さまの居場所を教えてくれるってことでしょうか?」 金羽と他の小人たちが頷いた。「……わかった!必ずその氷を持って帰るよ!」こうして、ワーザーたちは氷を探しに旅立った……ニア、気分は良くなったか?僕は……すー……すー……ん?また眠ちゃったのか?……いいことだ……眠れば考えずに済む……僕も眠れたらいいのに……でも申請用紙はなくなったし、お姉さんたちによれば最近はグリーンエリアの出入資格が限られていて、新しい申請用紙がいつ来るかも分からない……どうすればいい?これから、どうればいいんだ……
アンデ、痛いよ……ゴホンゴホン……救護所のお姉さんがくれた抗生物質だ。ニア、早くこれを飲んで!ゴホン……うっ……一日中ずっとき歩いてて、私、足に水ぶくれがたくさんできてて、痛いよ……でもアンデ、私、足手まといになってないよね?長城列車までたどり着けるよね?アンデが言ってた。長城列車にたどり着いたら、グリーンエリアに行けるって……そうだよ!長城列車にたどり着けば、僕たちはグリーンエリアに行ける!そこにいるおじさんたちはみんな親切だから、きっと僕たちみたいな子供を助けてくれるよ。だからそこにたどり着けば、グリーンエリアに行けるんだ!うん……グリーンエリアに……グリーンエリアに行ったら、痛くなくなるよね……アンデ、昨日のお話の続きを聞きたいよ。話してくれる?ニアはいい子だから、いくらでも話してあげるよ。それでね……あっさりと条件を飲んだワーザーを見て、金羽は目を大きく開いて少し信じられない様子だった。それから、金羽は手を振って、小人たちを金瓶草の根元に集めた。みんなは普段使っている小さなシャベルを取り出して、固い土を掘って、球状の根に軽く切れ目を入れると、すぐに薄青色の蜜露がにじみ出てきた。小人たちは金瓶草の葉っぱを一枚摘んで、滲んできた蜜露を掬って、ワーザーの前に持ってきた。「飲め――!」金羽が言った。「飲めば、呼吸できる!」「水の中で、呼吸できる!」ワーザーは頭を下げて蜜露を一口で飲み干した。甘い味が口に広がって、全身が暖かくなった。それから、小人たちはワーザーを解放した。「か……必ずあの氷を持って帰るよ。シャーロット、待ってて!」ワーザーはきつく縛られているシャーロットにハグをしてから、深く息を吸って地下水に飛び込んだ。地下水の中はとても寒った。ワーザーは流れに沿って下流まで泳いだけど、氷は見つからなかった。水の中はあまりにも冷たくて、ワーザーは少し泳いだだけでも震え始めた。でも、洞窟で待っているシャーロットのことを思い出し、ワーザーは再び泳ぎ始めた。ワーザーが凍えそうになったその時、目の前にたくさんの白い光点が見えた。「光……?!光る氷はあそこにあるのかな?」ワーザーはすぐに足をばたつかせて光点に向かって泳いだ。しかし、光が本当に小人たちが探していた氷なのか確かめようとした瞬間、大きな口がワーザーを光ごと飲み込んでしまった。ワーザーは必死に四肢を動かして泳ごうとしたけど、結局クジラの腹の中に落ちてしまった。ワーザーは早く出ようとクジラの腹の中で出口を探し回ったけど、辺りは真っ暗で、足元には奇妙な突起物があちこちにあって、歩くたびにつまずいてしまいそうだった。ワーザーはますます不安になったけど、足を止めるわけにはいかなかった。たくさんたくさん歩き続けて、ようやく前に光が見えてきた。ワーザーは急いでそこへ走った。そこにはたくさんの光る花が咲いていて、透明な魚やエビが花の周りを旋回していた。花の上には、クジラの心臓があった。心臓が跳ねるたびに、小雨が降ってくる。そこへ近づいてみると、玉が魚やエビが花の中心にある玉をついばんでいることがわかった。その玉のおかげで、花がこんなにも明るく輝いているのだ。ワーザーはその光景に見とれていた。でもそれと同時に、心の中にたくさんの疑問が湧いた。でも、ここにはシャーロットもお母さんもいないから、疑問は全て自分で解き明かさなければならない。そして、ワーザーは慎重に花に近づいてみた。
ワーザーは花に近づいた。「花が光るのは、心臓の鼓動で降ってくる雨のおかげかな……?」ワーザーは手を伸ばして花に触れてみた。「水の中は暗すぎる。もし暗闇を照らすものがあったら、あの氷も見つけられやすくなるかもしれない……」花は何の反応も示さなかった。ワーザーはその花を一輪摘み取った。花を摘んだ後、ワーザーは再び出口を探し始めた。光る花の明かりを頼りに、ついにクジラ肺を見つけた。ワーザーは気を引き締めてクジラの肺の中に入った。クジラは何かに耐えられなくなったように、水面に向かって巨大な水柱を噴き出した。ワーザーも一緒に外へと吹き飛ばされた。突然空中に放り出されて、ワーザーは思わず下を覗いた。そこには果てしなく広がる真っ暗な水面しかなかった。ワーザーは悲鳴をあげた。しかし、その悲鳴が辺りに響き渡る前に、ワーザーはまっすぐに水の中へ落ちていった。水に落ちた衝撃は大きかった。ワーザーはしばらくの間ぼんやりと水の中を漂っていたけど、徐々に周囲の景色を再び見分けることができるようになった。光る花の明かりを頼りに、遠くで巨大なクジラの群れがゆっくりと深海を泳いでいるのが見えた。「クジラの群れだ――!ここにはいられない!」ワーザーはすぐにクジラの群れと逆方向に向かって泳ぎ出した。ワーザーはひたすら前へと泳ぎ続けた。不思議なことに、光る花が照らした場所は、ワーザーが離れても暗くなることはなかった。ワーザーが進むにつれ、暗い場所がどんどん光る花に照らされていった。暗闇の中に隠れていた生物たちが驚いて姿を現し、ワーザーを警戒していた。その時、透明な小さなエイと巨大なエイの群れがワーザーに向かって優雅に泳いできた。エイがヒレを動かす様子はまるで巨大な蝶の羽のように見えた。「きれい……」ワーザーは思わずつぶやいた。小さな透明なエイがワーザーのそばへ泳いできて、興奮した様子でワーザーが持っている花の周りを何度も巡回した。そして、頭を上げて物欲しそうにワーザーを見上げた。「あ……もしかして……これが欲しいの?」ワーザーは小さな声で尋ねた。小さなエイはすぐに頭を上下に振って、ヒレを素早く動かした。「でも、僕もこれがないと水の中の暗闇を照らせないんだ……うーん……そうだ、あなたは光る氷がどこにあるか知ってる?」小さなエイはしばらく頭をかしげてから、ワーザーの手元に寄り添って、ワーザーの手首に軽く擦り寄った。「ははは……くすぐったいよ……」ワーザーは思わず笑った。小さなエイはワーザーから離れて、小さなヒレを振って「ついてきて」という仕草をすると、素早く前へと泳ぎ出した。ワーザーは急いで足を動かして小さなエイに続いた。アンデ、すごく眠いよ……でも続きも聞きたい……眠いなら寝てていいよ!時間ならまだまだたくさんあるから、いくらでも話してあげる。おやすみ。うん……………………ニア、ニア?……どうやら本当に寝ちゃったみたい。……これからも長城列車に向かって進むしかない……でも、そこにたどり着いたとしても……いや、もう後戻りはできない!ここに留まっていたら希望を捨てたようなものだ!
アンデ、ついに長城列車が見えたよ!今日一晩休んで、明日、明日になったら、たどり着ける……そうだね!今夜はあれこれ考えないで、しっかり休んでおくんだ。そうしないと、明日元気に出発できないよ!うん、ちゃんと寝るよ。でもアンデ、この前の話の続きが聞きたい……続きはね……ワーザーは小さなエイの後ろについて、たくさんたくさん泳いでいた。そして、目の前の水域に大量の光るクラゲの群れが逃げ惑う光景が現れた。次から次へと、闇の中で光るクラゲたちが見える。クラゲは透明な傘を動かして、全力で前へ進もうとしていた。「クラゲたちは何でこんなに急いでいるの?何かに追われているのかな?」ワーザーは小さなエイに尋ねた。小さなエイはヒレを動かし、尾びれを振ってクラゲたちの後ろの方を指した。ワーザーがその方向を見つめると、大きな氷の木が見えた――それは逃げているクラゲの群れの後ろにあって、クラゲを追いかけながら、猛スピードで成長している。氷の木は完全に透明で、たくさんの枝が水の中で驚くほどの速さで広がっている。まるで真っ暗な海に伸びている無数の長い腕のようだった。網のように広がる枝が海の生物に触れると、一瞬で生物たちを凍らせた。海の生物が凍るたびに、氷の木はますます明るくなっている。今はもたくさんのクラゲを凍らせていた。ワーザーが小さなエイが指す方向を見つめると、そこにあった氷の木はまるで海の中の太陽のように輝いていた。透き通った巨大な氷の木はまばゆい光を放って、近くの水域を明るく照らした。その水域はまるで巨大な、海底のクリスタルのように美しい光を放っている。「これが、これが小人たちが言っていた。光る氷、危険な氷だよね!そうだよね、エイちゃん?」小さなエイはヒレを上下に振ってうなずいた。「でも、どうやってこれを洞窟に持っていけばいいんだ?!」ワーザーはそう尋ねた。その時、ワーザーの前にいるクラゲをすべて凍らせた氷の木が、長い枝を伸ばしてワーザーに向かって突進してきた。ワーザーはすぐに引き返して逃げたけど、氷の木の枝はワーザーを追い続けた。「氷の木は光に向かって動いているの?!」ワーザーは大声で小さなエイに尋ねた。小さなエイは尾びれを振って、一生懸命ヒレを動かしてワーザーに追いつくと、ワーザーが持っている花を奪って、花の中心にある光る玉を呑み込んだ。その瞬間、真っ暗な海底がまばゆい光に包まれた。その光の中心に、先ほどの小さなエイがいた。その光は氷の木の光よりも明るかった。小さなエイは光を放ちながら氷の木に向かって泳いでいった。「な、何をするつもり?!気をつけて――!」ワーザーは心配して叫んだ。しかし、氷の木の傍まで泳いだ小さなエイは、他の生物のように凍ることはなかった。小さなエイがヒレを伸ばして氷の木の枝に触れると、氷の木と一緒に凝縮した光の塊が小さなエイに飛びついた。小さなエイはその光の塊を次々と飲み込んでいった。光を吸収するたびに氷の木は小さくなって、小さなエイは大きくなっていく。あっという間にそれはワーザーよりも大きくなった。「た、食べてしまったのか……?」ワーザーは信じられないような口調で言った。「もしかして、あの光る花がエイちゃんに氷の木の光を吸収する力を与えてくれた?」小さなエイは答えなかった。エイが木から離れると、氷の木は急に膨らみ、元の大きさの二倍になって、殻まで硬くなった。小さなエイはもう氷の木の光を吸収することができなくなった。巨大な枝から無数の鋭い氷の棘が生えてきた。まるで槍を持った騎士のように、それは小さなエイを攻撃し始めた。「氷の木が怒ってる!早く逃げて――!」ワーザーは叫んだ。小さなエイは一生懸命ヒレを動かして、ワーザーのそばまで来ると、ワーザーを背中に乗せた。「どうしよう、どうしよう……氷を持ち帰らないと。でもまずは生き延びないとだし……どうしよう……!」ワーザーは小さなエイにしがみついて、後ろから迫ってくる氷の木の枝を見つめて焦っている。「ダメだ、全然撒けない……!どうしよう……待って、撒けないなら……思いついた――!」「泳いで――!全力で泳いで!方向は分かってる!地下水のところまで連れて行けばいい……!」小さなエイはワーザーの指示に従って、光る旋風のように海底を高速で移動していった。ワーザーは小さなエイに乗って水の底を泳ぎ、後ろには氷の木が追ってきている。氷の木が通ったところに鋭い氷の棘が出来ていて、無数の海の生物がその中で凍っている。光り輝くそれを近くで見ると、まるで海の生物を展示する博物館だと錯覚してしまう。ついに、小さなエイはワーザーを地下水の近くまで連れてってくれた。小さなエイはヒレを動かして光る玉の半分を吐き出して、ワーザーにあげた。「ありがとう――!帰り道は覚えてるから、早く逃げて!凍らないように気をつけて!」ワーザーは小さなエイに向かって叫んだ。小さなエイは矢のように「シュッ」と泳ぎ去った。ワーザーは歯を食いしばって、半分の光る玉の光を頼りに、地下水の入口へと向かって必死に泳いだ。氷の木がワーザーを凍らせようとする寸前、ワーザーは水面を飛び出した。氷の木は一瞬で地下水の入口を凍らせた。疲れ切ったワーザーは倒れそうになったけど、今はまだ休む時じゃない。まずはシャーロットを助けなきゃ。
洞窟に残されたシャーロットは長い長い間待っていた。彼女がワーザーの影を見つけると、すぐにワーザーに向かって叫んだ。ワーザーは金瓶草のそばに立っている金羽のもとへ駆け寄って、大きな声で言った。「ち、地下水の氷を持ってきた!これでシャーロットを解放してくれる?!」金羽は凍った入り口を見て、手を振るって叫んだ。「割れ――!」すると、光る小人たちが一斉に飛び上がった。それぞれが一枚の葉っぱと蜂の毒針を持っていて、氷で封じられた地下水の入口へ走って、たくさんの氷の欠片を叩き落とした。「溶けろ――!」金羽が再び叫んだ。光る小人たちは氷を抱えて、金瓶草の下まで運んで、氷を積み重ねた。そして一斉に氷塊に向かって温かい息を吹きかけると、全ての氷がキラキラと光る水に変わった。その水を吸い上げた金瓶草はすぐに元気を取り戻した。瓶の中も再び蜜露が湧き出してきた。他の銀瓶草も次々と息を吹き返し、地下水の入口からは微かな水の流れる音が聞こえてきた。ワーザーは急いで地下水の入口を確認しに行った。入口の氷はすっかり溶けていて、追われている時に凍っていた海の生物ものんびりと水の中を泳いでいる。「遠くまでは見えないけど……他の生物たちもきっと自由を取り戻せたはず!よかった!」ワーザーはとても喜んでいる。「解放――!」金瓶草のそばにいる金羽がまた命令を下した。他の小人たちはすぐにシャーロットのもとへ駆け寄って、シャーロットを解放してくれた。シャーロットは足を揉み解しながら、ワーザーの方へ駆け寄った。ワーザーはシャーロットを抱きしめた。シャーロットに傷がないことを確認して、ほっとした。ワーザーは金羽に尋ねた。「約束通り、仙女さまの居場所を教えてください!」「南――!」「仙女さま、南に!」「南だ、仙女さまは南方にいる!」「もっと遠い南に!」小人たちがワーザーに説明してくれた。「もっと遠い南……よし、分かった!」ワーザーはそっと拳を握りしめた。そしてシャーロットを抱き上げて、肩に座らせた。ワーザーは金羽に向かってお辞儀をして、「仙女の場所を教えてくれて、ありがとうございます。僕たちは今から出発します!」と言った。金羽はワーザーに向かって手を振った。「さようなら!またね!」「さようなら!仙女さまを見つけてね!」「さようなら!またね!」小人たちは賑やかにワーザーに別れを告げた。ワーザーも金羽に向かって手を振った。そしてシャーロットを連れて遠い南へと向かった。まだまだ長い旅が彼らを待っている。ワーザーは密かに誓った。どんなことが起こっても、決して諦めないと。遠い南……長城列車も私たちの南にあるよね……そうだね、ワーザーのように、僕たちもきっとそこに辿り着けるよ。長城列車にたどり着いたら、啓明仙子さまに会えて、痛みもなくなるんだよね……アンデ?……そうだ、長城列車にたどり着けば、僕たちの願いがきっと叶うよ!さあ、ニア、明日に備えて、今はよく眠らないとね!うん……!おやすみ。………………そこにたどり着けば、きっと……すべてがうまくいくはずだ!
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